田中 義一
1863 − 1929
[ たなか・ぎいち ]
首相、陸相、政友会総裁、参謀本部次長、陸軍大将
一覧 (タ) 本を入手【テーマ・内閣成立史】
エピソード 1 関東大震災の年、虎の門で摂政宮暗殺を謀り、 結果的に山本内閣Aを一撃で倒したテロリスト難波大助が社会主義に傾倒するきっかけをつくったのがなんと田中義一。 田中が陸相時代、故郷山口に錦を飾るとき、その沿道には小中学生が整列させられた。 当時中学五年生の難波はこれに憤慨し、社会主義に傾き、ついには皇太子襲撃にまで及んだという。
・ 山口県出身。長州藩下級藩士の家に生まれる。陸大卒業後、日清戦争に従軍。
・ 日露戦争では主戦論を展開、満州軍参謀となる。
・ 山県の「帝国国防方針」の原案を作成。軍事課長、軍務局長を歴任。
・ 帝国在郷軍人会を組織、2個師団増設を画策。
・ 参謀次長を経て、陸相に就任、シベリア出兵を推進。
・ 陸軍長州閥の総帥として重きをなすともに、退役と同時に政友会総裁に就任
・ 若槻内閣@のあと、首相に就任、外相を兼任。対中積極策を推進。
・ 異例の緊急勅令で治安維持法を強化
・ 満州某重大事件の処理で天皇の叱責を受け総辞職
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1904/06/20   満州軍総司令部設置 (総司令官:大山巌/総参謀長:児玉源太郎
1904/08/28   遼陽会戦 (〜09/04)
1904/10/09   沙河会戦 (〜10/17)
1905/01/25   黒溝台会戦 (〜01/29)
1905/03/01   奉天会戦 (〜03/10)
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1912/07/29   明治天皇崩御
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1918/08/02   シベリア出兵宣言
1918/09/29   原内閣成立 (首相:原敬
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1920/05/24   尼港(ニコライエフスク)事件
1921/11/05   原内閣総辞職
1923/09/01   関東大震災
1923/09/02   山本内閣A成立 (首相:山本権兵衛
1923/09/16   甘粕事件 (犯人:甘粕正彦
1923/12/27   虎の門事件 (摂政宮襲撃/犯人:難波大助)
1923/12/29   山本内閣A総辞職
1925/04/13   田中義一、政友会総裁D就任
1926/03/04   中野正剛、陸軍機密費問題で田中総裁(政友会)を追及
1926/03/05   元二等主計、田中総裁(政友会)を機密費横領で告発
1927/04/20   田中(義)内閣成立 (首相:田中義一
1927/04/22   支払猶予令 (3週間のモラトリアム/蔵相:高橋是清
1927/05/28   山東出兵@
1928/03/15   三・一五事件 (共産党関係者一斉検挙)
1928/04/19   山東出兵A
1928/05/03   済南事件
1928/05/08   山東出兵B
1928/06/04   満州某重大事件 (張作霖爆殺)
1928/06/29   治安維持法改正@
1929/01/25   中野正剛、満州某重大事件で田中首相を追及
1929/03/05   衆議院、治安維持法改正緊急勅令を事後承認
1929/04/16   四・一六事件 (共産党員全国一斉検挙/党組織に壊滅的打撃)
1929/07/01   満州某重大事件責任者処分発表
1929/07/02   田中(義)内閣総辞職
1929/09/29   田中義一
エピソード おちゃめな「おらが大将」も、末路は長州閥だった。 天皇に、ああもはっきり辞表を出せと言われたのは、後にも先にも彼一人。 3か月後に亡くなったときには、自殺では? と邪推されたということだ。
あれはいつも児玉(源太郎)の下で働いていた者で、一度もおれの下に使ったことはないが、 たしかに才も有るし、可愛い奴だ。だが、奴は一度も鉄砲玉の中を潜ったことがないから肝が小さい。
寺内正毅 (首相)
引用田中義一は文久三年(一八六三)に長州萩に生れた。 萩といえば、明治維新元勲のメッカだ。 伊藤博文も、山県有朋も、井上馨も、その少年時代をこの町で送っている。
田中は明治十六年に陸軍士官学校に入学して以来、陸軍の出世街道を驀進し、 日露戦争には満州軍参謀として中佐で従軍、同じ長州出身の児玉源太郎総参謀長の許に仕えた。 爾来、陸軍省軍事課長、同軍務局長、参謀次長となって、原内閣のときには陸軍大臣となり、 シベリア出兵を敢行し、大正十年に陸軍大将になっている。 その後も山本権兵衛内閣で二度目の陸軍大臣をつとめた。
【中略】
田中は生来が単純な男で、しかも、あけすけな性格だった。 この点、山県とは対照的である。 山県は深沈重厚の策謀家だが、その性格の相違がかえって田中を愛する理由だったかもしれない。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。