田中 義一 1863 − 1929
[ たなか・ぎいち ]
首相、陸相、政友会総裁、参謀本部次長、陸軍大将
エピソード 1
関東大震災の年、虎の門で摂政宮暗殺を謀り、
結果的に山本内閣Aを一撃で倒したテロリスト難波大助が社会主義に傾倒するきっかけをつくったのがなんと田中義一。
田中が陸相時代、故郷山口に錦を飾るとき、その沿道には小中学生が整列させられた。
当時中学五年生の難波はこれに憤慨し、社会主義に傾き、ついには皇太子襲撃にまで及んだという。
エピソード
おちゃめな「おらが大将」も、末路は長州閥だった。
天皇に、ああもはっきり辞表を出せと言われたのは、後にも先にも彼一人。
3か月後に亡くなったときには、自殺では? と邪推されたということだ。
評
あれはいつも児玉(源太郎)の下で働いていた者で、一度もおれの下に使ったことはないが、
たしかに才も有るし、可愛い奴だ。だが、奴は一度も鉄砲玉の中を潜ったことがないから肝が小さい。
寺内正毅 (首相)
田中は明治十六年に陸軍士官学校に入学して以来、陸軍の出世街道を驀進し、
日露戦争には満州軍参謀として中佐で従軍、同じ長州出身の児玉源太郎総参謀長の許に仕えた。
爾来、陸軍省軍事課長、同軍務局長、参謀次長となって、原内閣のときには陸軍大臣となり、
シベリア出兵を敢行し、大正十年に陸軍大将になっている。
その後も山本権兵衛内閣で二度目の陸軍大臣をつとめた。
【中略】
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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