東郷 平八郎 1847 − 1934
[ とうごう・へいはちろう ]
連合艦隊司令長官、軍令部長、東宮御学問所総裁、元帥海軍大将
エピソード 1日本海海戦のZ旗が上がったあと、旗艦「三笠」の艦橋にいた東郷は、
危険だからと参謀たちを司令塔に下がらせた。加藤と秋山だけが傍らに残った。
戦いの間じゅう、彼はずっと同じ場所に立ち続けた。至近弾が水柱をつくるたびに、しぶきで艦橋はびしょぬれになる。
5時間を越える戦闘が終わったとき、「三笠」の艦橋は水びたしで、だが、東郷の二つの足が置かれていたところだけが乾いていたという。
真偽を確かめるすべはない。
引用東郷の履歴は風変りであった。
かれは薩摩藩士として最初藩の海軍に属し、「春日」乗組の三等士官として戊辰戦争に出征し、阿波沖海戦、宮古湾海戦に参加した。
宮古湾海戦では旧幕艦「回天」をもって斬りこんできた旧新撰組副長土方歳三らの海上突撃隊とたたかい、
終始艦尾の機関銃をあやつってこれを撃退した。
戦後、東京に出て英語をまなんだ。
かれは海軍をやめて工学関係の技師になりたいというのが志望だったらしい。
その旨を薩摩の先輩に相談すると、
―やはり海軍がよかろう。 と説得され、やがて英国留学を命ぜられた。
日本政府としてはこの青年をダートマスの海軍兵学校に留学させるつもりであったが、英国側がことわった。
そのかわり、テームズ河畔の商船学校に入り、水夫待遇で商船教育をうけた。
この学校は優秀な卒業生数人にかぎって海軍士官になれる道がひらかれており、多少の海軍教育もしていたから、
まったく無縁の学校でもなかった。
司馬遼太郎 「坂の上の雲(1)」
P.218この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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