東條 英機
1884 − 1948
[ とうじょう・ひでき ]
首相、陸相、参謀総長、陸軍大将、A級戦犯
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エピソード 1東條の甥っ子が、あるとき東條の妹を尋ねた。 ところが折悪しく不在。そこで勝手知ったる叔母の家に上がりこみ帰宅を待った。 ビールを飲みながら、彼は退屈しのぎに女中に「いやぁ、だんだんきれいになるなぁ」などと言い、彼女の手をにぎった。 これが東條に知れた。この日の深夜、彼は東條に呼び出され、さんざんなお叱りをうけた。 このバカものぉ、何が陸軍少佐だ、このアホウめ、帝国軍人の風上にもおけぬわ、というわけだ。 東條は堅物で、メモ魔で、「努力即権威」が座右の銘で、こんなに独裁者のイメージから遠いキャラはそうは見つからない。 彼は独裁者ではなかった。独裁者が総辞職させられるわけがない。
・ 東京都出身。陸軍中将東條英教の長男。陸士卒、陸大卒。ドイツ駐在。
・ バーデン・バーデンで、永田小畑、岡村と陸軍刷新、総動員体制構築の盟約を結ぶ
・ 関東軍参謀長として日中戦争を現地で推進。
・ 近衛内閣Aで陸相に就任、日独伊三国軍事同盟締結などに尽力。
・ 近衛内閣Bの後、木戸内大臣の推薦で首相に就任し、対米開戦を決断。
・ 以後、サイパン陥落まで、戦争指導を進める。重臣の倒閣運動にあい総辞職
・ 戦後、A級戦犯として東京裁判で「絞首刑」の判決刑死
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1921/10/27   バーデン・バーデンの密約
1928/06/04   満州某重大事件 (張作霖爆殺)
1929/05/19   一夕会結成
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1936/02/26   二・二六事件
1936/11/24   綏遠事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/07/19   荻窪会談 (近衛松岡東條吉田
1940/07/22   近衛内閣A成立 (首相:近衛文麿
1940/07/27   大本営政府連絡会議、「南進」「枢軸強化」を決定
1940/09/23   北部仏印進駐
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1940/10/12   大政翼賛会発足
1941/04/13   日ソ中立条約調印
1941/04/16   日米交渉開始
1941/07/02   御前会議、「南進」「北進準備」を決定
1941/07/02   大本営、「関特演」発動
1941/07/16   近衛内閣A総辞職
1941/07/18   近衛内閣B成立 (首相:近衛文麿
1941/07/28   南部仏印進駐
1941/08/01   アメリカ、対日石油輸出禁止
1941/09/06   御前会議、対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)
1941/10/16   近衛内閣B総辞職
1941/10/17   白紙還元の御諚
1941/10/18   東條内閣成立 (首相:東條英機
1941/12/01   御前会議、対米開戦決定
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1942/02/15   シンガポール攻略
1942/04/19   武藤軍務局長更迭
1942/06/05   ミッドウェー海戦 (〜06/07)
1943/02/01   ガダルカナル島撤退開始 (02/07 撤退完了)
1943/04/20   東條内閣改造@
1943/10/21   出陣学徒壮行大会 (神宮外苑競技場)
1944/02/19   東條内閣改造A
1944/02/21   東條首相兼陸相、参謀総長を兼任 (嶋田海相、軍令部総長兼任)
1944/07/07   サイパン陥落 (守備隊玉砕)
1944/07/14   東條首相、参謀総長辞任
1944/07/17   嶋田海相解任
1944/07/18   東條内閣総辞職
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/09/11   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令@ (東條東郷ら39人)
1945/09/11   東條英機自殺未遂
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/12/23   東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行
語録 幼年学校時代に、いちど習ったところを徹底的に暗記してみた。 すると成績はあがった。努力とはそういうものだと思った。
語録 誤解してはいかん。乙案は開戦の口実ではない。この案でなんとか妥結をはかりたいと神かけて祈っているのだ。 それがわからんのか。
語録 治療を受けるあいだつき添ってくれたアメリカのMPは立派だった。 社会の動きにもそれなりの見識をもっていた。 教育程度が高いからだろうが、国民に知らせ、自覚をもたせ、これを掌握すれば力となる。 アメリカのデモクラシーはこの点にあったのだ。
語録 日本人の犯した犯罪は裁かれるのは当然だが、文明と人道、 法と正義は同時に同じ罪を犯した連合国の人への裁判を要求するものである。
語録 死ぬ時期はいい時期だと思います。一には国民に対する謝罪。 二には日本の再建の礎石となって平和の捨て石となり得るということ。 三には陛下に累を及ぼさず、安心して死ぬること。四には絞首刑で死ぬことです。 自殺でもしたら意味をなさんです。五には私の身体は子供の時から病弱であったのだが、少し生き過ぎました。 歯も二、三本しかないし、目もよく見えない。頭も悪くなった。これでは長生きもできません。 ちょうどよい時期です。六には金銭上に関する不名誉のこともなくなって、安心して死ねます。 七には病苦より一瞬間の死は余程幸福です。終身にでもなったら永久に煩悩につきまとわれて、たまったものでない。 一番大事なことは、弥陀の浄土に(信仰によって)往生させて下さって喜んで死んで行けることです。 今こそ死時だと思ったのです。昨夜宣告の時、心が朗らかになりました。 大無量寿経の中の、法蔵菩薩が決定して無上正覚を得るといわれる、あのような気持になりました。
語録 われ往くもまたこの土地にかへりこむ国に報ゆることの足らねば
東條英機は、歴史的には山県有朋伊藤博文がつくりだした大日本帝国の〈拡大された矛盾の清算人〉であったと思う。 誰かがどこかの地点で、清算人になる宿命をもっていたのだ。
保阪正康 (作家)
まったく自己反省のない男だからね、東條という男は。
岡田啓介 (元首相)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「東條英機」は「東条英機」とも表記されることがあります。