東條 英機 1884 − 1948
[ とうじょう・ひでき ]
首相、陸相、参謀総長、陸軍大将、A級戦犯
エピソード 1東條の甥っ子が、あるとき東條の妹を尋ねた。
ところが折悪しく不在。そこで勝手知ったる叔母の家に上がりこみ帰宅を待った。
ビールを飲みながら、彼は退屈しのぎに女中に「いやぁ、だんだんきれいになるなぁ」などと言い、彼女の手をにぎった。
これが東條に知れた。この日の深夜、彼は東條に呼び出され、さんざんなお叱りをうけた。
このバカものぉ、何が陸軍少佐だ、このアホウめ、帝国軍人の風上にもおけぬわ、というわけだ。
東條は堅物で、メモ魔で、「努力即権威」が座右の銘で、こんなに独裁者のイメージから遠いキャラはそうは見つからない。
彼は独裁者ではなかった。独裁者が総辞職させられるわけがない。
語録
幼年学校時代に、いちど習ったところを徹底的に暗記してみた。
すると成績はあがった。努力とはそういうものだと思った。
語録
誤解してはいかん。乙案は開戦の口実ではない。この案でなんとか妥結をはかりたいと神かけて祈っているのだ。
それがわからんのか。
語録
治療を受けるあいだつき添ってくれたアメリカのMPは立派だった。
社会の動きにもそれなりの見識をもっていた。
教育程度が高いからだろうが、国民に知らせ、自覚をもたせ、これを掌握すれば力となる。
アメリカのデモクラシーはこの点にあったのだ。
語録
日本人の犯した犯罪は裁かれるのは当然だが、文明と人道、
法と正義は同時に同じ罪を犯した連合国の人への裁判を要求するものである。
語録
死ぬ時期はいい時期だと思います。一には国民に対する謝罪。
二には日本の再建の礎石となって平和の捨て石となり得るということ。
三には陛下に累を及ぼさず、安心して死ぬること。四には絞首刑で死ぬことです。
自殺でもしたら意味をなさんです。五には私の身体は子供の時から病弱であったのだが、少し生き過ぎました。
歯も二、三本しかないし、目もよく見えない。頭も悪くなった。これでは長生きもできません。
ちょうどよい時期です。六には金銭上に関する不名誉のこともなくなって、安心して死ねます。
七には病苦より一瞬間の死は余程幸福です。終身にでもなったら永久に煩悩につきまとわれて、たまったものでない。
一番大事なことは、弥陀の浄土に(信仰によって)往生させて下さって喜んで死んで行けることです。
今こそ死時だと思ったのです。昨夜宣告の時、心が朗らかになりました。
大無量寿経の中の、法蔵菩薩が決定して無上正覚を得るといわれる、あのような気持になりました。
語録
われ往くもまたこの土地にかへりこむ国に報ゆることの足らねば
評
まったく自己反省のない男だからね、東條という男は。
岡田啓介 (元首相)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「東條英機」は「東条英機」とも表記されることがあります。 |