内田 康哉
1865 − 1936
[ うちだ・こうさい(やすや) ]
外相、駐露大使、駐米大使、駐華公使、満鉄総裁、外務次官、パリ不戦条約全権
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エピソード 1調査中。
・ 熊本藩士の子。帝大法科卒業後、外務省入省。
・ 通商局長、政務局長、総務長官、清国公使、外務次官などを歴任後、原内閣の外相に就任。
・ 以後、高橋内閣加藤(友)内閣でも外相に留任する。
・ 枢密顧問官就任後、パリ不戦条約会議全権となるが、その条約文が国内で問題となり辞任。
・ 貴族院議員、満鉄総裁を歴任。
・ 満州事変後、斉藤内閣で再び外相となり、「焦土外交」満州国承認を強行した。
1911/08/30   西園寺内閣A成立 (首相:西園寺公望
1912/07/29   明治天皇崩御
1912/12/05   西園寺内閣A総辞職
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1918/09/29   原内閣成立 (首相:原敬
1919/01/18   パリ講和会議開催 (〜06/28/首席全権:西園寺公望
1919/03/01   三・一(万歳)事件 (京城パゴダ広場で朝鮮民衆が独立宣言)
1919/05/04   五・四運動 (天安門広場で学生らがデモ行進)
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1920/05/24   尼港(ニコライエフスク)事件
1921/03/03   皇太子、ヨーロッパ歴訪 (09/03 帰国)
1921/11/04   原首相刺殺事件 (東京駅/犯人:中岡艮一)
1921/11/05   原内閣総辞職
1921/11/13   高橋内閣成立 (首相:高橋是清/全閣僚留任)
1921/11/25   皇太子摂政就任
1921/12/13   四ヵ国条約調印 (日英同盟廃棄)
1922/02/06   九ヵ国条約調印
1922/02/06   ワシントン海軍軍縮条約調印
1922/06/06   高橋内閣総辞職
1922/06/12   加藤(友)内閣成立 (首相:加藤友三郎
1922/06/24   シベリア撤兵声明
1923/08/25   加藤(友)内閣総辞職
1923/09/01   関東大震災
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1932/05/26   斉藤内閣成立 (首相:斉藤実
1932/08/25   内田外相、「焦土外交」の決意を表明
1932/09/15   満州国承認 (日満議定書調印)
1933/02/24   国際連盟総会、リットン報告書を採択
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1933/04/22   滝川事件 (鳩山文相、滝川教授の辞職を京都帝大総長に要求)
1934/03/01   満州国帝政実施 (皇帝:溥儀
1934/07/03   斉藤内閣総辞職
1936/02/26   二・二六事件
引用内田は熊本藩の名門出身で帝大を卒業後、すぐに外務省入りした。 ワシントン公使館勤務時代に公使の陸奥宗光に目をかけられ、以後、陸奥の直系として外交界に重きをなした。 外相は、生涯に何度もつとめたが、彼が今日、人びとの記憶に残っているのは、焦土外交の一言によってである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。