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内田 康哉 1865 − 1936
[ うちだ・こうさい(やすや) ]
外相、駐露大使、駐米大使、駐華公使、満鉄総裁、外務次官、パリ不戦条約全権
エピソード 1調査中。
引用内田は熊本藩の名門出身で帝大を卒業後、すぐに外務省入りした。
ワシントン公使館勤務時代に公使の陸奥宗光に目をかけられ、以後、陸奥の直系として外交界に重きをなした。
外相は、生涯に何度もつとめたが、彼が今日、人びとの記憶に残っているのは、焦土外交の一言によってである。
三好徹 「夕陽と怒濤」
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※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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