梅津 美治郎
1882 − 1949
[ うめづ・よしじろう ]
参謀総長、陸軍次官、陸軍大将、A級戦犯
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エピソード 1調査中。
・ 大分県の農家に生まれ、陸士卒、陸大卒。日露戦争に従軍。
・ ドイツ、デンマーク、スイスの駐在武官を歴任し、第一次世界大戦を観察。
・ 支那駐屯軍司令官として、梅津・何応欽協定を中国に強要、華北分離を狙う。
・ 陸軍次官として二・二六事件後の粛軍を推進、宇垣内閣を流産させる。
・ 大戦中、関東軍司令官、参謀総長を歴任。重光外相とともに降伏文書に調印
・ A級戦犯として東京裁判で「終身禁固」の判決。服役中に病死。
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1935/06/10   梅津・何応欽協定
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/05/07   ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
1945/07/26   連合国、ポツダム宣言発表
1945/08/06   アメリカ軍、広島に原爆投下
1945/08/08   ソ連、対日参戦 (08/09 満州侵攻開始)
1945/08/09   アメリカ軍、長崎に原爆投下
1945/08/10   御前会議、条件付きでポツダム宣言受諾を決定
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/14   宮城事件 (戦争継続派によるクーデター未遂)
1945/08/15   阿南陸相自決
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1949/01/10   梅津美治郎
引用各国駐在武官のあと、参謀本部課長、軍事課長、参本総務部長、 支那駐屯軍司令官と軍令、軍政の経歴者。 思慮あくまで周密、情報の「推移を注視して寸分のすきも見せなかった達人」という評がある。 梅津の冷徹緻密さは伝説化している。
引用梅津美治郎は、いかにも小我に恋々とした凡将であるという印象は消えない。 梅津は敗戦時の参謀総長である。 陸軍大臣の阿南惟幾は、立派に武人の最後を飾ったのに、梅津は自決しないどころか、 九月二日のミズリー艦上の降伏文書の調印式にもグズグズ言って、 なかなか引きうけなかったらしい。 国務大臣であった小畑が「今さら敗けた陸軍に何の面目があるのか、梅津が嫌だというなら、わしが行こうか」と、 怒鳴って梅津もしぶしぶ陸軍の代表を引きうけたという。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「梅津美次郎」は表記に誤りがあります。