セルゲイ・Y・ウィッテ
1849 − 1915
首相、蔵相、日露講和会議首席全権 / ロシア
一覧 (ア)   
エピソード 1アメリカ・ポーツマスで開かれた日露講和会議の十回目の本会議の臨むのとき、 ウィッテはすでに会議の決裂を覚悟していた。 彼の内ポケットには、決裂を本国に伝える至急電の電文が入っており、 それをいち早く打電するための合言葉も決めてあった。 会議の席上、「ロシアタバコを持ってきてくれ」彼がそう言うと、隣室に控える随員がやってくる。 そのときに電文を渡す手はずになっていた。 この電文がロシア本国に届けば、時を移さず満州のロシア軍は進撃を開始するだろう。 この日の本会議で、ウィッテがロシアタバコを求めることはついになかった。日露両国の間に急転平和がもたらされたからだ。
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1902/04/08   満州還付条約調印 (露・清)
1903/04/08   ロシア、満州撤兵A不履行
1903/04/18   ロシア、満州撤兵のための7項目を清国に要求 (04/27 清国拒否)
1903/08/12   ロシア、旅順に極東総督府を設置
1903/08/29   ロシアの蔵相ウィッテ失脚 (主戦派の政治的勝利)
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/03/10   日本軍、奉天占領
1905/05/27   日本海海戦 (〜05/28/連合艦隊司令長官:東郷平八郎
1905/06/09   T・ルーズベルト(米)大統領、日露両国に公式に講和を勧告
1905/08/10   日露講和会議開催 (アメリカ・ポーツマス/首席全権:小村寿太郎
1905/09/05   ポーツマス条約調印 (首席全権:小村寿太郎日露戦争終結)
1905/10/28   ロシア領ポーランドでゼネスト、戒厳令施行
1905/10/30   ロシア皇帝ニコライ2世、議会召集を宣言
1905/10/31   ロシア皇帝ニコライ2世、ウィッテを首相に任命
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1915/03/13   ウィッテ
引用ウィッテはこの時代のロシアにあっては傑出した財政家で、アレクサンドル三世とニコライ二世の両帝につかえ、 大蔵大臣をつとめ、のち総理大臣になった。 どちらかといえば非ロシア的な人物で、西欧的教養と思想をもち、ロシアそのものの批判者としてもその言葉はつねに警抜であった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ウィッテ」は「ヴィッテ」「ウイッテ」とも表記されることがあります。