ヴィルヘルム2世
1859 − 1941
皇帝、プロイセン王 / ドイツ
一覧 (ア)   
エピソード 1調査中。
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1902/12/14   ドイツ議会、新関税法案可決
1904/02/10   対露宣戦布告 (日露戦争勃発)
1905/03/31   モロッコ事件@
1914/06/28   サラエボ事件 (オーストリア皇太子夫妻暗殺)
1914/07/05   ドイツ、オーストリアの対セルビア強硬策支持を約束
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/03   ドイツ、ベルギーへの侵入開始 (対仏宣戦布告)
1914/08/04   イギリス、ドイツに宣戦布告
1914/08/26   タンネンベルクの戦い (〜08/30)
1914/09/05   マルヌの戦い (〜09/12/西部戦線膠着)
1915/02/04   ドイツ、対英封鎖宣言
1915/04/22   ドイツ軍、毒ガスを使用 (イプルの戦い/〜05/25)
1916/02/21   ヴェルダン要塞攻防戦 (〜07/11)
1916/07/01   ソンムの戦い (〜11/18)
1917/01/09   ドイツ、無制限潜水艦作戦を決定 (01/31 対米通告)
1917/04/06   アメリカ、対独参戦
1918/03/03   ブレスト・リトフスク条約調印 (ソビエト政府、独墺と講和)
1918/03/21   ドイツ軍、西部戦線で大反攻開始 (ミヒャエル作戦)
1918/11/09   ドイツ革命
1918/11/10   皇帝ヴィルヘルム2世、オランダ亡命
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1933/01/30   ヒトラー内閣成立 (独)
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
1941/06/04   ヴィルヘルム2世
引用ドイツの皇帝ウィルヘルム二世は凡庸な資質のもちぬしであったが、しかし虚栄心がつよく、 さらには芝居っ気が多く、国家的演技をすることがむしょうに好きであった。
名宰相といわれたビスマルクの退陣後、カイゼルは自分の意見や機嫌をそこなうことのない首相をえらび、 さらにはかれを輔佐する他の文官も武官も自分で選んだ。 議会が存在するとはいえ、ドイツの政体は皇帝の専制をゆるしているという点で、英国やフランスにくらべておそろしく田舎臭かった。 ただロシア皇帝のような無制限の専制はもっていなかったが、それだけにカイゼルはロシアにはない議会という国内勢力に対して さまざまな機略をもちい、操縦し、みずからの帝権をすこしでも誇示しようとする権謀家的性格をみずからつくりあげた。 その権謀家的性格は外交に対しても露骨にあらわれ、つねに他国をあっといわせ、ときには手玉にとり、 ときには無用なほどのまやかしをやってのけたいという欲求をどうにも抑えきれない政治家に自分を仕立てあげた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ヴィルヘルム2世」は「ウィルヘルム2世」「ウイルヘルム2世」「ヴィルヘルム二世」「ウィルヘルム二世」「ウィルヘルム二世」とも表記されることがあります。