チャールズ・ウイロビー
1892 − 1972
GHQ参謀第二部長、GHQ民間諜報部長、陸軍少将 / アメリカ
一覧 (ア)   
エピソード 1調査中。
・ 
・ 
・ 
・ 
・ 
・ 
・ 
・ 
・ 
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1942/01/02   日本軍、マニラ占領
1942/05/07   コレヒドール島(フィリピン)のアメリカ軍降伏
1944/10/10   アメリカ機動部隊、沖縄を空襲
1944/10/12   台湾沖航空戦 (大本営、大戦果を発表)
1944/10/20   アメリカ軍、レイテ島(フィリピン)上陸
1944/10/24   レイテ沖海戦
1945/04/01   沖縄戦開始 (アメリカ軍、沖縄本島上陸)
1945/06/23   沖縄守備隊全滅
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/08/30   マッカーサー厚木到着
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1945/09/15   日比谷にGHQ本部設置 (第一生命相互ビル)
1946/11/03   日本国憲法公布
1950/06/25   朝鮮戦争勃発
引用G2の部長チャールス・ウィロビー代将は、一八九二年にドイツのハイデルベルヒでうまれ、 一九一〇年にアメリカに帰化、軍人としては最下級の兵士からたたきあげて代将(のちに少将)にまで昇進した。 一九四一年にマッカーサー司令部の諜報部長となり、そのまま総司令部の参謀第二部長となった。 もちろんバターン脱出でマッカーサーといっしょだった一人であり、側近としての重要分子であった。 しかし、ホィットニーほどマッカーサーとの関係は緊密でなく、ノックひとつでマッカーサーの室に入ることはできなかった。 彼は、参謀長をとおしてでなければマッカーサーに面接することはできなかった。 どうしてもすぐに面接したいときは、マッカーサーの帰るころをみはからってドアのそとにたち、 マッカーサーが室からでてくるとおどろいた顔をつくって「やあ元帥、お帰りですか、 私はちょうどおめにかかりたいとおもってうかがったところなんですが―」というのだった。 そこでマッカーサーはウィロビーをともなって室にもどることとなるのだが、ウィロビーは、 弁護士あがりのホィットニーとは対照的に軍人精神の権化であり、集権的な官僚独裁の信奉者であった。 マッカーサーについでスペインの独裁者フランコ将軍を尊敬し、フランコ将軍を「現存する第二の偉大な軍事的天才」とほめたたえていた。 ウィロビーは、やがて「占領軍のジョー・マッカーシー」(赤狩りのマッカーシー旋風で鳴らした極反動の共和党員)とあだ名をつけられるようになり、 マッカーサーからもときどき冗談まじりに「わが愛するファシスト」とよばれていた。 ウィロビー配下の軍人たちは、 ホィットニー配下のニュー・ディーラーを赤がかったものどもとみて「ピンカーズ」(桃色野郎)とさげすんでいた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「ウイロビー」は「ウィロビー」とも表記されることがあります。