若槻 礼次郎
1866 − 1949
[ わかつき・れいじろう ]
首相(@A)、内相、蔵相、憲政会総裁、ロンドン軍縮会議首席全権
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エピソード 1太平洋戦争の戦局が悪化し、東條が重臣会議と対立したとき、 重臣会議なんて首相落第者の集まりじゃないか、と言ったというが、若槻など首相落第者の最たるもの。 官僚として、あるいは受験生としては驚異的な天才だったが、政治家としては無能としか言いようがなかった。 そんな彼に国の舵取りを2度も任せなければいけなかったのは不幸としか言いようがない。 役人と政治家はしっかり区別して考えたいものだ。
・ 島根県出身。松江藩士の次男。東京帝大卒業後、大蔵省入省。
・ 主税局長、大蔵次官など歴任後、貴族院議員。
・ 桂内閣B大隈内閣Aの蔵相に就任する一方、立憲同志会、憲政会結成に参画。
・ 護憲三派内閣の内相。治安維持法普通選挙法を成立させる。
・ 加藤首相病死で組閣。片岡蔵相の失言で金融恐慌。その処理に行き詰まり総辞職
・ ロンドン軍縮会議首席全権。浜口首相テロに倒れると、2度目の首相就任。
・ 満州事変の拡大を食い止められないまま、閣内不統一で総辞職
1912/12/19   憲政擁護連合大会@ (護憲運動@開始)
1912/12/21   桂内閣B成立 (首相:桂太郎
1913/01/20   桂首相、新党結成計画発表
1913/02/11   桂内閣B総辞職 (大正政変)
1913/12/23   立憲同志会結成 (総裁:加藤高明
1914/04/16   大隈内閣A成立 (首相:大隈重信
1914/07/28   オーストリア、セルビアに宣戦布告 (第一次世界大戦勃発)
1914/08/23   対独参戦 (宣戦布告)
1915/01/18   対華21ヵ条要求 (外相:加藤高明
1915/07/25   大浦内相辞任 (2個師団増設案成立工作問題で)
1915/07/30   大隈内閣辞表提出
1915/08/10   3閣僚辞任 (加藤外相若槻蔵相・八代海相/内閣改造)
1916/10/05   大隈内閣A総辞職
1916/10/10   憲政会結成 (立憲同志会など3党合同/総裁:加藤高明
1919/06/28   ベルサイユ条約調印 (北京政府、調印拒否)
1923/09/01   関東大震災
1924/06/11   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)成立 (首相:加藤高明
1925/04/22   治安維持法公布
1925/05/05   普通選挙法公布 (男子普通選挙)
1925/07/31   加藤(高)内閣(護憲三派内閣)総辞職
1925/08/02   加藤(高)内閣(憲政会単独内閣)成立 (政友会、政権を離脱)
1926/01/28   加藤(高)内閣総辞職
1926/01/29   若槻礼次郎、憲政会総裁就任
1926/01/30   若槻内閣@成立 (首相:若槻礼次郎/全閣僚留任)
1926/02/28   松島遊郭疑獄事件発覚
1926/03/04   中野正剛、陸軍機密費問題で田中総裁(政友会)を追及
1926/05/20   若槻首相、床次総裁(政友本党)に連立を要請 (05/26 拒否)
1926/07/29   朴烈怪写真事件
1926/11/07   若槻首相、松島遊郭疑獄事件で証人として取調べを受ける
1926/11/09   箕浦勝人、若槻首相を偽証罪で告発
1927/02/25   憲本提携成立 (政友会孤立)
1927/03/14   片岡蔵相失言 (→金融恐慌)
1927/04/17   枢密院、台湾銀行救済緊急勅令案を否決
1927/04/17   若槻内閣@総辞職
1930/01/21   ロンドン海軍軍縮会議開催 (主席全権:若槻礼次郎
1930/04/22   ロンドン海軍軍縮条約調印
1930/04/25   統帥権干犯問題 (犬養毅鳩山一郎が追及)
1931/04/14   若槻内閣A成立 (首相:若槻礼次郎
1931/05/16   官吏減俸を閣議決定 (蔵相:井上準之助
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/09/24   政府、不拡大方針を声明
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1931/11/18   日本政府、満州への増派を閣議決定
1931/11/21   安達内相、政友・民政協力内閣を主張 (声明発表)
1931/12/11   若槻内閣A総辞職 (安達内相の辞任拒否で閣内不統一)
1934/11/01   若槻礼次郎、民政党総裁辞任
1936/02/26   二・二六事件
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1946/11/03   日本国憲法公布
1949/11/20   若槻礼次郎
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「若槻礼次郎」は「若槻禮次郎」とも表記されることがあります。