山下 奉文
1885 − 1946
[ やました・ともゆき ]
第14方面軍司令官、第25軍司令官、航空総監、軍事調査委員長、陸軍大将
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エピソード 1調査中。
・ 高知県出身。陸士卒。陸大卒。
・ ドイツ、スイス駐在、歩兵第3連隊長などを経て、陸軍省軍事課長に就任。
・ 皇道派の中堅幹部として活躍。軍事調査委員長として二・二六事件に直面。
・ 事件後、統制派に敵視され、支那駐屯混成旅団長など在外勤務が続く。
・ ようやく中央に戻り航空総監。すぐに東條陸相により東京を追われドイツ派遣視察団長。
・ 関東防衛司令官を経て、太平洋戦争勃発とともに、第25軍司令官としてマレー作戦を指揮。
・ シンガポール攻略の功績にもかかわらず、第1方面軍司令官の閑職に就く。
・ 戦局の悪化により第14方面軍司令官としてフィリピンへ。
・ 時すでに遅く、マッカーサー率いる連合軍を前に、苦しい退却戦を強いられ、敗戦を迎える。
・ 戦後、軍事裁判で「マニラ大虐殺」などの責任を問われ、「絞首刑」の判決。異国の地で刑死。
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1932/09/15   満州国承認 (日満議定書調印)
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
1936/03/23   陸軍、二・二六事件関係者の処分と人事異動を発表
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1942/02/15   シンガポール攻略
1944/10/18   大本営、捷一号作戦を発動
1944/10/20   アメリカ軍、レイテ島(フィリピン)上陸
1944/10/24   レイテ沖海戦
1945/01/09   アメリカ軍、ルソン島(フィリピン)上陸
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/12/07   軍事裁判で山下奉文に死刑判決 (マニラ/46/02/23 死刑執行)
語録 改造、改造というが、案があるのか、案があるなら持ってこい。 垢抜けのした案を見せろ。
山下は、「革新」青年将校らを前から空疎な壮語で煽っておきながら、 現実に発展した事件の重大さに色を失ったのである。 この上は、わが身の責任追及を脱がれるため、彼らの撤退に懸命となるほかはなかった。 かくすることによって嫌疑をできるだけ回避しようとした。 これ以後、山下がとりかかる「撤退作戦」の小心にして怯懦な細工ぶりを見るがよい。 事件前の「豪放さ」とは打って変り、保身に汲々としているところ、笑止というほかはない。
松本清張 (作家)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。