taro の意見
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書く人間が楽しいからって、読む人が楽しいとはかぎりませんよね。 でもtaroは書きたいんです。というわけで、ずらずら読むのはかったるいぜという人のために、 文章の最後に結論を書いておきました。結論だけ読んで楽しいとも思えませんが。まあ、一応。そういうことで。
● taro 的「天皇の戦争責任」論  (2004.03.10)
taroは昭和天皇のファンだ。
昭和天皇のどこが好きかといえば、国の未来を思いやる真剣さ、敏感さ、的確さが、何はともあれいちばんの魅力と感じる。
海軍終戦工作の切り札だった“戦う合理主義者”井上成美が「名君ですよ」とキッパリ言い切っているが、taroもそう思う。 ちなみに井上は、歴代の海軍大将を、一等大将から三等大将までにカテゴライズして、海軍大将の質の低さを嘆いた人で、 “盟友”山本五十六さえ一等大将に分類していない。 また、戦後、海軍の生き残りを集めての座談会では、及川元海相ら並みいる先輩たちを理詰めで面罵している。 そういう厳しい人だ。
昭和天皇ほどのインテリジェンスの持ち主をこの時代の日本に見出すことはなかなか容易ではない。 もしかしたら、彼こそは、昭和最大の政治的知性だったのではないかとさえtaroは思っている。
もちろんお人柄も好きだ。だが、これはまた詳しく書く機会もあるだろう。こんなふうに、taroは昭和天皇のファンなのだ。

では、そんなtaroは天皇の戦争責任について、どう考えているか。 別にむずかしい話にはならない。
そんなもの、あったに決まってるだろ、あったりまえじゃん。
というのが、この問題についての率直な考え。 きっと昭和天皇自身これを読めば、「あっ、そう」とは言わず、うんうんとうなずくだろう。
昭和天皇自身もtaroもともに天皇機関説論者。国家の最高機関としての天皇には、開戦の責任も敗戦の責任も、 戦争の推移の中で起こったさまざまな不祥事の責任も、もちろんあるし、それは重大だし、 その大きな責任を負うのはまず第一に個人としての昭和天皇であると考える。 その責任の重さは、もし彼が武士階級の人なら即座に切腹して当然、というぐらいの最高レベルのものだ。 彼が陸海軍の頂点に立つ大元帥だったことも付け加えておこう。

さて、すると、きっとこういうツッコミを受けることになるだろう。 では昭和天皇はその責任をとったのか。
とっていない、というのがtaroの答え。あえて言えば、男らしく堂々と責任をとるということをあきらめる、 というカタチで責任をとったと言えなくもない。あえて言えばだ。
企業も銀行も、あんまりでかくなるとつぶすのが容易でないように、 当時の日本では、天皇の責任を追及するとなると事は重大、その影響の大きさを考え、必死で天皇訴追を回避したのがマッカーサーだ。
念のために言えば、taroは、マッカーサーのせいで昭和天皇は責任をとりたくてもとれなかったと言おうとしているわけではない。
ついでに言えば、taroは、マッカーサーとの最初の会談で、 責任はすべて自分にあるなんてことを昭和天皇は言わなかったと思っている。 あれはきっとマックのフィクションだろう。 「回顧録」の記述は昭和天皇免責にやっきになった真の動機を隠蔽するためのものなんじゃないかな。

さて、こうして当然責任を負うべき人の責任論が公式にうやむやになった。 その結果、「天皇の戦争責任」というテーマの議論が、のちのちまで繰り返されることになる。 単純化して言えば、右と左の、それぞれに思惑を秘めた人たちが、 自分に都合のいい資料をあれこれ引っぱり出してきて、好き勝手なことを言うから、 もともとさして複雑じゃなかったはずの問題が、なんだかとてもむずかしいことのように思われるようになっていく。

ここでtaroはかなり大胆に、かなり大きく出ようと思う。
人間というのは、一度にいろいろなことに関心を持つというのはなかなかできないようで、 こういうすったもんだの大論争があるとそちらに気をとられ、その陰に隠れて、忘れ去られた大問題とでもいうべきことが生じてくる。
taroのみるところ、戦争責任に関連するキーワードは三つ。 「天皇」「A級戦犯」「一億総懺悔」だ。
これら三つはいずれも、1945年8月15日までの歴史的な過ちに関して、その責任を誰かに帰結させようとするものだ。
taroの脳裏にどこかの幼稚園の風景が浮かぶ。 たとえば砂場で、みんなが仲よく遊んでいたのだ。 先生はそれを遠くから安心して眺めていたりいなかったり。 ところが、ふと気づくと誰かが泣いている。 近寄ってみると、泣いていない一人の子がさっそく先生に“事の真相”を説明し始める。 “犯人”と名指しされた子が言い訳を開始し、続いて“真犯人”を指摘する。“真犯人”と名指しされた子がこれまた・・・・・・。
幼稚園の風景であってみれば、たいがいは微笑ましく思えるし、“事”が片づけば、 “真相”など忘れてしまっていっこう差し支えないかもしれないが、問題が戦争責任であれば、そういうわけにはいかない。
「天皇」「A級戦犯」「一億総懺悔」という三つのキーワードに対応する“容疑者”たちの責任のなすりつけ合いの中で、 “真犯人”は誰か、どう裁かれるのかという俗的な興味の中で、 あるいは先に述べた「大論争」の中で、 本来ならいちばん関心を持たなければならないことや苦しくともどうしてもやらなければならないことが、 すっかり置き去りにされ、いまなお置き去りにされ続けているのではないかとtaroは思うのだ。
責任転嫁や犯人さがしの対極にあるのは、自らの過去をありのままに振り返って、それを厳しく自己批判することだろうが、 一人一人の日本人は、それをいったいどこまでしただろうか。 天皇の権威をカサに着た小役人たちは。陸軍の“毒まんじゅう”を食った新聞記者たちは。過酷すぎる搾取を続けた地主たち企業家たちは。 国のありように疑問を感じながら、結局何もしなかった知識人たちは。 自分と家族と友人のことしか考えていなかった一般市民たちは。
こうした反省の貴重な成果は、この国の未来のために、のちのちまで伝えていかねばならぬものだろうと思うのだが、 少なくともtaroには、それはいっこうに聞こえてこない。
当然人口に膾炙していなければならないはずの、戦争を含めた事の真相すら、いまだに定かではない。 あれはいったい何だったのか、われわれはいったい何を教訓とすればいいのかがわからないから、 念仏のように平和、平和と繰り返し、憲法には触ることもできない、というようにも見える。
のどもとすぎれば・・・・・・。
ほとんどの日本人にとって、戦勝国によって「A級戦犯」に指名された人々にすべての責任を帰結させることが、 もっとも幸福な歴史観だったのではないだろうか。

taroは昭和天皇を名君だと思う。 あれほどの名君を戴きながら、その名君にあれほど軌道修正を求められながら、 結局それができず、あんなマヌケな歴史を繰り広げた日本人は、 その名君を失って、いったい本当に大丈夫なのかとtaroは心配しているのだが、 その話は別の機会に、ということで。

taroが考える昭和天皇の不幸は、真の“股肱”がごくわずかしかいなかったこと、 それら少数の人のほとんどが政治的に無力だったことだ。 前者については明治天皇の場合と比べてみれば明らかだろう。 後者については類は友を呼ぶとでも言うべきか、彼の“股肱”には、自己主張の少ない人が多い。 明治、大正、昭和と、それぞれの時期に、公家・華族出身の政治家が必ず天皇家に寄り添うように存在するが、 昭和のそれ、近衛文麿が、岩倉、西園寺と比べて明らかな失敗作だったことも大きかったかもしれない。
だから、現実の日本が彼の理想とはまったく逆の方向へどんどん突き進んでいくのを、昭和天皇はどうすることもできなかった。 特に満州某重大事件の責任者処分問題で、不覚にも感情をあらわにしてしまってからは、その傾向が強まった。 立憲君主として紳士的であろうとする天皇に対して、組織や個人のエゴが加速度的に露骨なものになっていったからだ。
どうもtaroは昭和天皇にひいきが過ぎるようだと考える人は、たとえば二・二六事件を考えてほしい。 「昭和維新」などと称して要人たち(昭和天皇いわく「朕が股肱の老臣」)を殺しておいて、 天皇の支持をおねだりするおばかさんたち、 そんな彼らに「おまえたちの気持ちはよーくわかっとるぞ」とのたまう軍服のおばかさん天皇の激怒をしずめようとして、彼ら青年将校たちの動機の純粋さを指摘し火に油を注ぐ側近のおばかさん陸軍ににらまれてはかなわんとばかり知らん顔を決め込む閣内のおばかさん、 また青年将校たちの「昭和維新」のモチベーションを高めた政財官のおばかさんたち、 ・・・・・・などなどに次々足を引っぱられながら、 よくぞ孤軍奮闘を続けたと、taroなど、考えるたび目がうるうるしてくる。
昭和天皇はもっと自己主張すべきだったと考える人は、 米内内閣総辞職の経緯を思い出してみてほしい。 当時すでに人材が払底していたこともあって、この内閣はめずらしく天皇がちょっとばかり自己主張してできたものなのだが (米内光政天皇のお気に入りだったのは、一つには彼が海相時代、頑固に三国同盟に反対し続けたことによる)、 成立わずか半年で、陸軍によってあっさりと、いかにも露骨につぶされてしまう。
昭和天皇は叱るべきときには叱っている。 ただ、叱られた者がその場だけうなだれてやり過ごし、心底から反省しようとはしなかったにすぎない。 叱られる者(陸相、参謀総長など)は、実は組織を代表して叱られているにすぎず、 真に叱られるべき人には天皇の叱責は届かないという状態が日常化してもいた。
どうも書けば書くほどひいきがあらわになるようだ。 このへんにしておこう。

要するに、責任を追及しようというなら、追及して意味のあるようにしなければならないと思うのだ。 立場上の責任者が、責任者であるがゆえに責任追及の対象となることは避けられないことだが、 そうすることでかえって真に責任を問われるべき人間が責任追及から守られる、 つまり、責任者が責任追及のタテになるということがないようにしなければならない。
天皇の戦争責任を追及することはいいが、そうすることで天皇とA級戦犯以外のすべての日本人が免責になるなら、 戦争責任追及のありかたを考え直すべきだろう。

天皇の戦争責任というときには、 国家の最高機関としての天皇と昭和天皇個人とを分けて考えなければならない。 前者の場合、天皇という国家の最高機関の非を指摘するなら、批判を受けるべきは昭和天皇個人にとどまらない。 それを担っていたのは彼一人ではないからである。 輔弼の任にあたった者たちはすべて該当するだろう。 少なくとも加藤高明(彼の内閣で治安維持法が成立)ぐらいまではさかのぼる必要があるとtaroは考えている。 広く考えるなら、当時の日本人全員が天皇制を支えていたわけで、批判の対象になりうる。 後者、つまり昭和天皇個人の戦争責任を問おうとするなら、彼の言動をいちいち検討する必要があるだろう。

こうして責任を追及して、そこから反省と教訓を導き出し、 それを踏まえて現在のわれわれのありかたをもう一度見つめ直すこと、 これこそが戦争責任追及の究極の目的でなければならないとtaroは考える。

たとえば、こんなメモが残されている。 ソ連参戦前夜の自らの思考について、関東軍総参謀副長松村知勝少将が振り返ったものだ。 極力客観的であろうと努めるその姿勢の裏に、激しい自責の念が感じられ、taroは痛ましささえ覚える。 あえておのれの不明を公表するこのようなメモを残してくれた松村氏に心からの敬意を表しつつ、 長くなるが引用してみよう。

「モスクワ駐在大使館付武官補佐官であった浅井勇中佐も、東京へ転任の途中、新京でソ連の兵力東送状況を報じた。
このような状況で、ソ連が早晩参戦するものと判断するのは当然である。 しかし、当事者にとって、それだけ強い判決を下すことはなかなか難しい。 早晩とまでは考えても、今明日と考えるまでにはならない。何かはっきりした兆候はないかと探し求める。
ここに無意識的に希望的観測が影響する。 日本政府から工場の満州疎開を希望してくる。工員家族まで満州に送るという。 後者は満州側で拒否した。これなどは何か月か前の状況で決意されたことが、事務に表面化してくるものであろうが、 受ける側では、今頃満州への疎開を考えているところを見ると、 ソ連の参戦よりも米軍の本土上陸が早いと見ているのだろうなどと考え、すぐ希望的観測に結びつく。
関東軍は兵力抽出後の補充として、新軍の編成をしていたが、その人馬の編成が終わるのが八月上旬で、 これに兵器が渡され、団結も少しは出来上がり、陣地構築など本格的にやれるのは秋と考えていた。 だからソ連が参戦するとしても、せめて秋に、出来たら来春になればいいがと思う心は、判断を甘い方へ導きたがる。 今明日が危ないと思う心と、兵力は東送しても参戦決意とは限らない。 ソ軍も、弾薬、燃料の集積が必要だろうなどと思う心は、暗黙の中に争う。 そしてソ連の参戦はまだだろうという気持ちが勝を占める。【中略】
八月八日夜、新京の空襲警報を聞いた私の頭にまず浮かんだのは、米機の空襲であった。 これは理屈を抜きにして、当時の私の頭の在り方を証拠だてるものである。」

松村氏にある種の戦争責任があることは明らかだ。 だが同時に、taro自身が彼の立場だったらどうだろうと考えざるをえない。
戦争責任追及の中からこうした“声”を少しでも多く集め、それを今に生かそうとしなければウソだろうと思う。
昭和天皇の戦争責任、松村氏の戦争責任、その他多く人たちの戦争責任をしっかり見つめることで、責任を追及するわれわれ自身が、 それらを自らに向かって発せられる問いかけとして受け止めることがはじめて可能になる、 これこそが戦争責任追及の意義だろうとtaroは考える。
余談ながら、ここで言われている「希望的観測」については、 ガダルカナルの頃の山本五十六の書簡にも見え(「希望的楽観」と表現)、 少なくとも当時の日本人の意思決定や状況判断の特徴の一つだったのではないかと注目している。 翻って現代に生きるわれわれはどうだろうか。

戦争責任の問題を一人一人の日本人が真摯に考えることも重要だが、 taroの一つの提案としては、いっそのこと、外国人の学者を集めて戦争責任追及チームを作って、答申を求めるというのはどうだろう。 フェアな判断が期待できるように思う。人類の進歩発展に貢献することにもなろう。

日本の戦争行為によって多大な迷惑を被ったアジア、太平洋地域の人々に対する責任の問題には今回は触れなかった。 これまた、またの機会ということで。

最後に、

責任転嫁や犯人さがしの対極にあるのは、自らの過去をありのままに振り返って、それを厳しく自己批判することだろうが、 一人一人の日本人は、それをいったいどこまでしただろうか。 天皇の権威をカサに着た小役人たちは。陸軍の“毒まんじゅう”を食った新聞記者たちは。過酷すぎる搾取を続けた地主たち企業家たちは。 国のありように疑問を感じながら、結局何もしなかった知識人たちは。 自分と家族と友人のことしか考えていなかった一般市民たちは。

という既述部分の中の「権威をカサに着た」「“毒まんじゅう”を食った」「過酷すぎる搾取を続けた」 「国のありように疑問を感じながら、結局何もしなかった」「自分と家族と友人のことしか考えていなかった」という表現は、 戦前の日本人に向けて書いたものだが、一概に過去のものとばかりは言えないことを指摘して、この文章のしめくくりとしよう。

taroの結論。
責任追及というカタチの責任転嫁や責任回避に注意! 不幸な歴史を今と未来に生かそう。
以上、taro 的「天皇の戦争責任」論、でした。おわり。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。