「知識ゼロからの現代史入門 ― アメリカ・ロシア・中国・パレスチナの60年 ―
参考書籍
著者: 青木裕司(あおき・ひろし)
発行: 幻冬舎(2002/10/10)
書籍: 単行本(253ページ)
定価: 1300円(税別)
目次: 第1章 冷戦から熱戦へ ―米ソ冷戦の歴史(1)―
第2章 危機の極限から和解の模索へ ―米ソ冷戦の歴史(2)―
第3章 激動の現代中国史
第4章 中東をめぐる流血の半世紀
第5章 アメリカへの対抗軸なき世界
補足情報:
僕は河合塾という予備校で世界史を教えています。 授業のあとには生徒諸君から、いろいろな質問を受けます。 それに相対することで、「どこがわからないのか」「何が疑問なのか」については、 かなりの「経験知」蓄積してきたつもりです。 この本では、そうした経験を生かしながら、一般の読者の皆さん、 とくにそれほど世界史の予備知識がない方々にも、歴史の流れがつかめるように努力をしました。 (はじめに)
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IMF
引用1929年の大恐慌・世界恐慌から第二次世界大戦にかけて、世界経済は大混乱に陥りました。 そこで、世界経済の安定化を目指して、大戦中の1944年に重要な国際会議が開かれました。 これは開かれた場所をもって、ブレトン=ウッズ会議といいます。 会議の主導者の一人にケインズがいます。
この会議でとくに大きな問題になったのは、各国の通貨でした。 各国が発行している通貨が、大恐慌・世界恐慌以来、非常に不安定だったのですね。 「不安定」ということは、通貨に対する信用が失墜したことを意味します。 じゃあなぜ信用が失墜したのか。
僕らはなんの疑いもなしに、通貨を交換手段として利用していますよね。 普通は紙幣のかたちですね。ただよく考えてみると、紙幣ってもともとは単なる「紙切れ」です。 その「紙切れ」が、価値をもって使用されるには、信用の裏付けがいるのです。
世界恐慌以前、各国は通貨の信用の裏付けに金をもってきていました。 「たしかにこの紙幣は紙切れですが、その気になったら金と交換できますよ。 だから安心して使用してください」。 通貨(紙幣)が金と交換できることを兌換といいます。 このようにして、通貨の信用基盤として金を据えるシステムを、「金本位制」といいます。
そのためには金がいるのですが、戦争が終わりそうになった頃、なんと世界の金の3分の2はアメリカが保有していたのでした。 ということは、もはやアメリカ以外の国は、金本位制に基づいて通貨の発行ができなくなったことを意味します。
これはアメリカにとっても大問題でした。 だって、アメリカが各国と貿易するときに、相手国の通貨が不安定で経済に安定感がなかったら、 安心して貿易できないもんね、そんな国とは。 それでアメリカの主導で各国通貨の信用が与えられることになりました。 方法は2つあったのです。
1つは、アメリカが保有している金を世界にばらまいてやること。 しかし、そこまでアメリカはお人好しではありません。
で、もう1つの方法は、各国通貨とドルの交換を保障することによって、 各国通貨に信用を与えようとするものでした。 たとえば、当時は信用ボロボロのイギリス-ポンド。 このポンドと、世界で最も信用のおける通貨であるドルの交換を保障することで、 ポンドを使用する人々に安心感を与えようとしたのです。
通貨で通貨に信用を与えるという、このシステムを管理運営する国際組織がIMFにほかなりません。 日本語で国際通貨基金です。 ちなみに、ドルは各国通貨の信用の基盤になるということで、「基軸通貨」、 英語で“Key Curency”といいます。
日米安保改定
引用1960年には日米安全保障条約の改定問題が起きます。 最初に安保条約が結ばれたのが1951年で、このときはアメリカが基本的に「守ってやるぞ」という条約だったんですよね。
ところが1960年の改定安保条約になると、この防衛義務が双務的になりました。 どういうことかというと、在日米軍やその基地が攻撃されたときには、日米が共同で戦うということになったのです。
多くの日本人はこれに危険を感じたんですね。 だって世界中で軍事行動をやっているアメリカの在日米軍部隊がどこかから攻撃され、 それに日本が巻き込まれる場合が想定されるからです。
アジア-太平洋戦争が終わってまだ15年。戦争の記憶も生々しいころです。 国民の不安は大きいものでした。 こういったことを背景に、新安保条約反対運動、いわゆる「安保闘争」が展開されることになりました。
これまでの日本の民衆の運動で、大衆動員の規模という点からすると、 第一次世界大戦後の「米騒動」に匹敵するか、それを凌駕する運動だと思います。
このときに新安保条約反対の署名が集められたのですが、何と1300万人分も集まったそうです。 これは核兵器廃絶の反対署名3500万人に次ぐものですね。
また、当時の自民党の岸信介政権は、十分な審議も尽くさぬまま条約批准を強行しようとしました。 ときに1960年5月20日。
条約に反対の野党議員は、警官隊によって排除されました。 与党自民党の中にも条約に反対の議員がいて、彼らは審議を欠席しました。
たとえば、海部元首相の師匠すじにあたる三木武夫や、日中(中華人民共和国)国交正常化に尽くしていた松村謙三、 それから今でも幅広い人たちから尊敬を集めている保守政治家の石橋湛山などです。
それから岸信介といえば、東条内閣で商工大臣を務めた政治家です。 彼の強引な国会対応に、戦前の雰囲気を思い起こした人々も多かったことでしょう。
この5月20日をさかいに、 「安保反対」だけではなく「民主主義を守れ」というスローガンが反対運動のプラカードにのるようになりました。
毎日国会や首相官邸を、数万人のデモが取り巻きました。 デモの先頭に立ったのは全学連でした。全日本学生自治会総連合、略して全学連。
6月15日には、首相官邸に突入した女子学生が亡くなりました。樺美智子さん。 東大文学部国史学科の4年生でした。彼女の遺稿集が『人しれず微笑まん』。
条約は6月に国会で自然承認されました。 こうして今日に至るまで、日本はアメリカの世界戦略に組み込まれることになりました。
ベルリンの壁建設
引用壁の建設は1961年8月に始まりました。 すべては極秘に進められ、8月13日の午前0時に作戦は開始されました。 壁の建設は3時間ほどで終了しました。 夜が明けると、そこには全長140キロの壁ができていたのです。
パレスチナ問題
引用第一次大戦中のイギリスというと、主敵はドイツです。 そのドイツの同盟国にトルコがいます。 当時トルコはオスマン帝国といわれ、西アジア一帯を支配する大帝国でした。
イギリスとしては、トルコの軍隊がイギリス植民地のインドに向かうことだけは、ぜひとも阻止したかったんです。 そのためにトルコに支配されていたアラブ人たちと、ある協定を結びました。
どういう協定かというと、「お前らよ、トルコと戦ってくれんかね」、 「そしたら第一次大戦が終わったあとに、お前たちアラブの民族国家を造るのを認めてやるわ」。 これをフサイン-マクマホン協定といいます。 フサインはメッカの首長、マクマホンはエジプトに派遣されていた高等弁務官です。 このフサインの息子がファイサルといって、のちにイラク王国の国王になる人物ですね。 映画「アラビアのロレンス」にも登場します。 映画では、イギリスの名優アレック=ギネスが演じてましたが。
その一方でイギリスにはお金が必要でした。 そこで有数の金融資本家であるユダヤ人のロスチャイルドにお金を借りようとするわけです。 厳密にいうとロスチャイルドの口利きで、アメリカに住んでいるユダヤ人から広く金を集めようとしました。 それによって戦費を調達しようとしたのです。 これはイギリスの外務大臣バルフォアの名でなされたので、バルフォア宣言といいます。
要するに、「お金を貸してくれるんだったら、パレスチナにユダヤ人国家を造らせてあげますよ」。
こうして、アラブ人に国家の建設を認めた領域の中の一部が、 ユダヤ人に国家建設を認めた地域と重なってしまいました。
これこそパレスチナ問題の発端です。 イギリスの二重外交が、今日まで続く対立の原因なのです。
パレスチナ分割案
引用さて1945年に戦争は終わりました。 するとイギリスは、「パレスチナ問題に関する解決能力はなし」と自ら認めて、ゲタを国際連合に預けてしまうのです。 1947年、その国連はパレスチナ分割案を提示します。 その分割案を見たときに、みんなはびっくりしました。 それは、明らかにユダヤの側に有利なものだったからです。 すなわちユダヤ人にあてられた場所は、水資源があって農耕などに向いている場所だったのに対し、 長年このへんに住んできたパレスチナ人には、ほとんど砂漠に近い領域しか認められなかったのでした。 国際連合はユダヤ人の肩を持っちゃったんですね。
そしてそこにはアメリカの強烈な後押しがあったのです。 とくに大統領トルーマンの意図が強く働いていました。
マスコミの連中がトルーマンに聞きました。 「なんであなたはそんなにユダヤの肩ばかり持つんですか?」。トルーマンはこともなげにこう言ったそうです。
「だって君、アラブの肩を持ったって、票にはならんだろうが」。
そうですね、これは1947年の話。 翌年の1948年には大統領選挙が待っています。 選挙に勝つためには何が必要か。 いろいろありますけれども、絶対になくてはならないのが、アメリカに住んでいるユダヤ系アメリカ人の支持なのです。 当時のアメリカには、約600万人のユダヤ系アメリカ人がいました。 人口比でいうと3%未満のマイノリティーに過ぎないのですが、このユダヤ系アメリカ人には、 政界・財界・マスコミ、あるいは学界で活躍している人たちがたくさんいました。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。