「第二次世界大戦・ヒトラーの戦い(4)」
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書籍: 文庫(551ページ)
目次: 作戦発動
『モスクワ街道』進撃
統帥の混乱
モスクワ攻防
分水嶺
厳冬の戦場
訪れた春
アフリカ戦車軍
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大島・ヒトラー会談
引用ヒトラーは、日本大使大島浩には、はっきりと対ソ戦の意思を伝えた。
大島大使は、独伊首脳会談の翌日、六月三日、オーバーザルツブルクを訪ねて、ヒトラーに会った。
まず午後四時から午後五時三十分まで外相リベントロップと対談し、午後七時から午後八時までヒトラーと会談した。
ヒトラーは、これまでの戦死者数は「平時ニ於ケル独逸国内死亡数ノ概ネ一割」にすぎぬと指摘して、 ドイツの戦争遂行が順調である旨を強調したあと、対ソ戦を決心していることを言明した。
「独『ソ』ノ関係ハ益々悪化シ、『ソ』戦争ハ恐ラク不可避ト考ヘアリ」
「自分は『ソ』聯ニ対シ譲歩スルコトハ、絶対禁物ト信ズ。 自分ハ相手ニ敵意ヲ認ムレバ、常ニ相手ヨリ先ニ刀ヲ抜ク男ナリ」
「共産『ソ』聯ヲ除クコトハ、自分ノ年来ノ信念ニシテ・・・・・・全世界人類ニ対スル大ナル貢献ト考ヘ居レリ」
独ソ戦への日本の対応(「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」の決定)
引用七月二日、独ソ戦という情勢の変化に対処するための国策である「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が、御前会議で可決された。
その内容は、すでに決定した南部仏印進駐による南方進出策に、独ソ戦に応ずる対ソ攻撃準備をつけ加えたものだが、 南方進出については「対英米戦ヲ辞セズ」と規定されながらも、北進についての姿勢は消極的になっていた。
独ソ戦には「介入スルコトナク」、「密カニ対『ソ』戦力的準備」をととのえ、 独ソ戦の推移が「有利ニ進展」すれば武力を行使する、という。
引用ヒトラーは、この日、七日の夜も、まさか日本海軍の機動部隊がすでにハワイ空襲という劇的な作戦を実施しつつあると夢想もできず、 C・シュレーダー夫人ら女性秘書、党総務局長M・ボルマンの副官H・ハイム、秘書(外交)W・ヒーヴェルたちと夕食をとり、 食後の歓談を楽しんでいた。
【中略】
すると、深夜少し前、広報官の一人H・ロレンツが走りこみ、米国放送は、日本海軍機がハワイの米太平洋艦隊を奇襲し、 日本は米英に宣戦したと報じている、と報告した。
日本が米国を攻撃した・・・・・・。
あり得ない事態が現実化したような驚きをさそわれ、一座は静まりかえった。
だが、ヒトラーだけはす早く反応した。
「転機だッ」
そう叫び、ハッシとひざをうつと、凍った夜道にとびだし、OKWの舎屋にいそいだ。
秘書ヒーヴェルが後続すると、ヒトラーは、興奮した喜声で夜気をゆるがせながらいった。
「これで、もうわれわれは敗けることはなくなった。 三千年間一度も敗けたことがない味方(日本)を得たからだ」
そのあとで、ヒトラーは、かつてナポレオンがこころみたイタリヤ評―「イタリヤは決して 開戦時の味方国と最後まで行をともにしたことがない。 二度味方を変えた場合は別だが」―をもじって、つけ加えた。
「別の味方(イタリヤ)も、結局は正しい側について戦争を終える国だし、ね」
むろん、ヒトラーがいう「正しい側」はドイツである。
イタリヤが別の考えをもつようになるなどは、これまたヒトラーにとっては夢想外であった。
エジプト自由将校団
引用『自由将校団』は、エジプトを英国の支配と腐敗した政府から解放しようと決意する青年将校グループで、 第二次世界大戦の勃発に応じて組織された。
A・サダトは、その自伝で当時の意図を次のように語っている。
「一九三九〜四一年のヒトラーの相次ぐ対英攻勢に鼓舞されて、私は次第に組織の環を拡大した・・・・・・。
ヒトラーの勝利と英国の後退は、私に直ちに行動すべき機会を提起した。 機はすでに熟しており、手遅れにならぬうちにそのチャンスをつかむのが、われわれの義務であると信じた」
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。