「日露戦争」
参考書籍
著者: 児島襄(こじま・のぼる)
発行: 文藝春秋(1994/01/10〜04/10)
書籍: 全8巻/文庫
定価: 各563円(税別)
補足情報:
膨大な資料を駆使して雄大な構想で描いた大長篇 (裏表紙)
第1巻を入手
シベリア鉄道の脅威
引用シベリヤ鉄道の建設も、この間に進捗し、明治三十二年(一八九九年)一月には、 「中部シベリヤ線」も開通して、ヨーロッパ・ロシヤからの最初の列車が、イルクーツクに到着している。
日本は、緊張せざるを得なかった。
すでに国内世論は、「日清戦争」のあとの「三国干渉」に憤慨していたが、 シベリヤ鉄道と東清鉄道の進展は、さらにロシヤの露骨な侵略政策としてうけとられ、 軍民こぞって警戒と不安の念を強めた。
―シベリヤ鉄道はいつ完成するのか。
―東清鉄道はいつ開通するのか。
―鉄道とともに、ロシヤ軍隊も満州に派遣されているのはなぜか。
―ロシヤは満州を奪り、朝鮮も占領するつもりではないのか。
―ウラジオストクと旅順に大艦隊を集め、日本を封鎖するのではないか。
―いや、日本を一挙に攻撃するのではないか。
児島襄 「日露戦争」  第1巻 P.16
引用―ところで、
両斥候隊が出発した約三時間後、午前十時、突然、救援隊が来たぞ、という叫び声が起った。
見れば、前方高地から吹雪の中を、二列になり一列になりして、隊列が急行してくる。
「茲ニ於テ、翕然歓極リテ感泣セルモノアリ。士気大ニ昂ル」
倉石大尉は、ラッパ手春日八太夫二等卒にラッパ吹奏を命じた。
「春日、早く集合ラッパを吹け。集レ、だ」
春日二等卒は吹奏しようとしたが、ラッパは凍結し、疲労して腹に力がはいらない。
やっと、息を吹きこみ、「僅ニ断絶セル一、二声ヲ発シタ」だけであった。 ラッパを口から離そうとすると、凍りついた唇の肉がもぎとれた。
“救援隊”は、やがて枯木の列とわかり、昂揚した兵の士気は、一転して沈下した。
士気の沈滞は、“救援隊”誤認で表示された「思考力の減退」をより促進させてか、 駒込川を下る筏を作ろうといったり、奇声を発して走りだして雪中に没入する兵も、いた。
児島襄 「日露戦争」  第1巻 P.149
引用「然レドモ、露国ノ発達ハ甚ダ大ニシテ、紀元二千年ニ於テ露国ノ人口ハ優ニ四億ニ達スルヲ得ベシ。
而シテ斯ル多数ノ人口ヲ有スル国家ハ、果シテ現今ノ国境ニ満足スルヲ得ベキカ」
では、どこへ行くのか―。
満州だ―というのが、陸相クロパトキン大将の判決である。
四億にふくれあがった人口のうち、「四分ノ一」はシベリヤに収容できるが、 シベリヤは不毛の地である。 移住者の食糧は満州に求めねばならず、シベリヤの安全は北部満州を確保してはじめて保持できるからである。
その意味で、大将は、すでに実施されている満州経営と「韓国ニ於ケル企業等」は、「極東ト露国トノ運命」をつなぐ 「一連ノ鎖環」であるとみなし、強調する。
「千九百年乃至千九百三年間ニ鉄道、陸軍及海軍ニ莫大ノ金額ヲ投ジタルニ拘ラズ、 若シ千九百年(清国に)与ヘタル契約ニ従ヒ(満州還附)協約ヲ確実ニ履行セバ、 露国ノ利害関係ハ果シテ十分ニ確保セラルベキヤ」
むろん、大将は、満州撤兵を実行しない場合の「危機」についても、考慮した。
「殊ニ露国ガ西辺ニ於テ攻撃セラレ、同時ニ東方ニ於テモ亦戦ヲ交フルアラバ、其ノ危険実ニ寒心スベキモノアラン」
ドイツ、日本の双方と戦う「ニ正面作戦」を危惧するわけだが、それでも、 陸相クロパトキン大将は、満州進出がロシヤの「運命」の支柱である点をくり返して、断言する。
「我ガ国ハ、日本ト戦争ノ已ムナキニ至ルベシ」
そして、大将は覚悟をこめて記述している。
「(平和の継続により)軍需品ハ到ル処ニ過剰ヲ生ジ、国家ハ武装的平和ノ重荷ニ苦シム。 時局人心共ニ緊張シ、各軍ノ銃ハ自然ニ発射セントスルノ観アリ」
児島襄 「日露戦争」  第1巻 P.253
日露開戦前夜、参謀総長大山巌
引用参謀総長大山元帥は、憮然たる表情で聞いていた。
ロシヤ公使ローゼンの報告をかりて井口少将が批判した「元勲」の中に、元帥もかぞえられている。 面白くなかったらしい。
部長たちの意見開陳が終ると、元帥は、まず「一個老人の資格」で発言すると前置きして、開戦が不利であるゆえんを論述した。
とくに、井口少将がいう賠償金の取得については、とらぬ狸の皮算用だ、たとえ戦争で勝っても賠償金など得られまい、 と強調した。
そして、一言
「オロシャな、大国でごわんど」
そういって、さっさと退席し、ついに一言も発しなかった次長田村怡与造少将もそのあとにつづいた。
「怪しからん。総長はわれわれを子供扱いにしようというのか。だいいち、次長がなにもいわんというのは、どういうわけかッ」
肩すかしをくわされた想い、あるいは首脳二人の「微温的態度」に意外感をさそわれたとみえ、 井口少将が憤怒の声をはりあげた。
児島襄 「日露戦争」  第1巻 P.315
大山巌、戦の哲学
引用翌日、一月二十七日
「日進」「春日」は、セイロン島コロンボに入港した。
随行してきた英巡洋艦「キング・アルフレッド」は、その手前で別れを告げ、「日露戦争」は必至だとの情報を信号でつたえ、 オーストラリアにむかった。
両艦のコロンボ到着は、 【中略】 海軍が待ちわびる、“開戦合図”にひとしいが、この日、 その到着報は日本にとどかなかった。
このため、海軍は、出兵約束日(二十六日)はすぎたではないか、とせまる陸軍になお出撃延期を主張した。
もう待てぬ―との叫声が、参謀本部にうずまき、総務部長井口少将は、陸軍の出兵を参謀次長児玉中将に進言した。
「いまなら対馬海峡に一隻のロシヤ軍艦もおりません」
「仁川にはいるじゃないか」
「たった一隻です。わがほうの『千代田』もいます。いや、海軍などあてにしなくとも、夜間に強行できるはずです」
「待ちゃい」
と、黙々と聞いていた参謀総長大山元帥が、少将を制止した。
「おはんの気持は、おいの気持と同じじゃ。じゃどん、戦っさはおいたちだけでやるもんじゃなか」
「しかし、総長、それでは国家が・・・・・・」
「そいじゃ。戦っさな、その国家の仕事ごわんしょ。陛下のご命令な無かちゅうに、一発も射てもはん」
「し、しかし・・・・・・」
「待ちなはれ、もうちくと辛抱しなはれ」
「・・・・・・」
少将は、かすかにうなずいたが、双眼から湧出した熱涙に満面をぬらしながら、佇立した。
児島襄 「日露戦争」  第2巻 P.33
旅順総攻撃第1日目
引用こうして
第三軍が、旅順口攻略のために第一日目に企図した第一、第九師団の作戦は、いずれも失敗に終った。
その苦戦あるいは難戦の態様は、そのごの戦闘の典型を告示していたといえるが、第三軍に印象づけた気配はうかがえない。
この日の戦いの参加部隊は、第三軍の一部にすぎず、 大部の将兵の「二十二日旅順口入城」の自信にゆるぎはなかったからである。
いや、第九師団第十九連隊第三大隊副官松井中尉は、龍眼北方堡塁攻略の失敗のニュースでかえって戦意は高揚した、と、 手記している。
「悲惨なる情報が到達する毎に、意気益々軒昂、きつと仇を討つてやると云ふ信念が一杯になつた。 自分乍ら実に荘厳な勇ましい心持になつた・・・・・・此時ほど我将士の士気の興奮したことはない」
児島襄 「日露戦争」  第3巻 P.211
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。