「第二次世界大戦秘史 ― 外務省情報部長が綴る歴史の謎 ―
参考書籍
著者: 加瀬俊一(かせ・しゅんいち)
発行: 光人社(1997/09/11)
書籍: 文庫(223ページ)
定価: 533円(税別)
初版: 角川書店(1957/02)
目次: 大戦前夜のスターリン
ヒトラー暗殺団
独裁者「死の結婚」の周辺
スターリングラードの亡霊
獄裡のナチス領袖
死体が戦功をたてた話
補足情報:
人類史上最大最悪の戦争の隠された歴史の謎を、外務省北米課長、英帝国課長、情報部長などを歴任し、 ミズーリ号の降伏文書調印式重光葵とともに列席した元外交官が、スターリンヒトラーなど各国要人と相見えた貴重な体験をもとに描く(裏表紙)
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引用モロトフは一見田舎教師のような風貌である。 それも数学教師といったところらしい。 事実、外見ばかりではなくて、彼の議論の進め方は数学的に正確である。 理路整然として、一分の狂いもない。 冷静沈着である。 それにきわめて強情である。 それだけに、融通性にとぼしい嫌いがある。
引用ほかのものが皆シャンペンを飲むのに、スターリンだけは初めのうちは小さなグラスに手酌で桃色の酒をついでいた。 この酒は一本しかなくて彼の専用らしかった。 私はやや奇異に思ったことだったが、その後、英米政治家のいろいろな回想録などを読むと、 どうやらこれが彼の習慣だったらしい。
しかし、しばらくして外相が、天皇陛下のために乾盃を提議すると、スターリンは、
「それなら、シャムペンだ」
といって、みごとに一杯をあおった。 それからは、カリニン首相、近衛首相モロトフ首相と思いつくほどの人には皆もれなく乾盃した。 その次は、日本陸軍のために、ソヴィエト陸軍のために、というようなことになって、両国の陸海空軍のために格別に乾盃する。 それも何回でも繰り返す。 ついにスターリンはシャンペン・グラスを持ってテーブルを回って、随員のひとりひとりの健康を祝するくらい上機嫌になってしまった。 しかし、正気であった証拠には、特に陸海軍随員に鄭重に敬意を表していた。 どこまでも曲者である。
御大将のスターリンが、このように、率先して模範を示すのだから、酒豪ぞろいのソヴィエト側接伴員は、 それこそ浴びるように飲む。 シャンペンでは駄目だ。ウォッカだ、ウォッカだ、という騒ぎ。
見れば外相も大分苦戦らしい。 それに帰国の国際列車の出発もあと余すところいくらもない。 いくど目かに私が腕時計を盗み見た時のことである。 スターリンは私にニヤリと笑顔をみせると、モロトフの机へいって、受話器をとった。 二言三言早口になんやら命令したようだったが、テーブルにもどると、
「列車は出発を一時間延期させました」
といった。一同は歓声をあげる。 ではまだ飲める、というわけで、乾盃また乾盃。
外相はそれから大使館の在留邦人のレセプションに出席し、さらに盃を重ねたので、 駅に向かう頃には、したたか酔っていた。 同乗している私は少なからず心配である。 自動車から降りようとすると、新聞やニュース映画のカメラが放列をしいている。 これはいけない、と思ったので、私は外相を抱くようにして肩を貸しながらゆっくりと歩いた。 歩きながら、外相の耳もとに口を寄せて、
「大臣、写真をとってますから、しっかり歩いて下さい」
とささやくと、外相は酔っているから大声で、
松岡洋右、断じて酔ってはおらん!」
と叫ぶ。これには弱った。
引用ロンメルは会うひとに精悍無比の印象を与えるが、案外小柄な将軍である。 話をすれば、淡々とした態度であって、これがナポレオンの再来と謳われた砂漠の英雄かと疑わせる。 かつてはイギリス軍の猛将オーチンレックをして、
「わが軍の敗因は将兵が敵将ロンメルを超人的英雄と思い込んでいるところにある。 今後、ロンメルを英雄と呼ぶことを厳禁する」
と布告せしめた彼。 三年間にして大佐から、一躍、元帥に躍進した彼。その敏捷なる行動の故に、デザート・フォックス(砂漠の狐)の異名をとどろかせた彼。
その彼は元帥に昇任した時、兵士と共にパインアップルの罐詰を開け、一杯の葡萄酒を乾し、埃にまみれた幕僚を顧みていった。
「最高勲章をもらうよりも、もう一台戦車が欲しい」
ここに彼の真面目がある。 彼は生粋の野戦軍司令官であった。
引用十月十三日、大本営から電話をもって、翌日正午、ゲネラル・ブルクドルフ(人事部長)が来訪するとの予告があった。 副官のフルディンガアが用向きをきくと、新任命に関して相談がある、とのことだった。 当時、なお体力回復せず、晴天陣図を曝す生活をしたロンメルには、これは意外である。
定刻、ブルフドルフは来た。 ほかに将官と佐官を一名ずつしたがえている。 自動車の運転手は黒服のSS隊員。 ロンメル夫人が二階の窓から見ると、家の周囲はSS武装兵が遠まきに取りかこんでいる。 ものものしい気配である。
ブルクドルフ等三名は応接室に入る。 ロンメルと握手をする。 ロンメルは副官にノルマンディ戦況の説明書をとらせにやる。 ロンメルの現職は今なお西部軍B集団司令官である。 戦況説明をするつもりらしい。
ブルクドルフはこれをさえぎって、ロンメルと内談したいという。 二人だけ応接室に残る。 これが一時間もつづいたろう。 やがて出て来たロンメルの顔色は蒼白である。 そのまま二階にいく。 夫人は驚いてきく。
「まあ、お顔色が! どうなさったの?」
ロンメルはボツリと答える。
「お訣れだよ、ルツィ。私は十五分以内に死ぬ・・・・・・ヒトラーの嫌疑がかかっている。 ゲルデラアの革命政府名簿に私の名が載っているという。 シュチュルプナアゲルも、スパイデルも自白したそうだ。 ・・・・・・だが、嘘にきまっている。 総統は毒薬か、『人民法廷』のいずれかを選べと命じてきた。 連中は毒薬を用意してきている。 三分で利くということだ」
夫人は「人民法廷」を選んで白黒を争えという。 ロンメルは頭を横にふる。
「いや、ベルリンに着くまで生かしておくはずがない」
最後の抱擁。 夫人はよよと泣き崩れる。 隣室では何も知らぬ愛息のマンフレットが口笛を吹きながら絵を描いている。
「マンフレットには黙っていておくれ」
この一言を残して、ロンメルは棲み慣れた家を出た―永久に帰らぬ旅に。
二十五分後、電話が鳴った。 副官が出ると、先刻の少佐の声で、
「アルディンガア、大変なことが起こった。元帥は脳溢血で倒れた。逝去されたんだ」
という。副官は答えない。
「分かったかい、おい君?」
と少佐は念を押す。 アルディンガアは黙って受話器を置いた。
ブルフドルフはロンメルに対して、この際、毒死を選べば国葬の栄誉を与えたうえ、遺族に終身年金を給与するが、 人民法廷に立つつもりならば国事犯として極刑に処するばかりでなく、夫人と令息も逮捕する、といって十五分間を与えて、 即答を求めたのである。
ワルシャワ陥落の日1945年1月17日のドイツ首脳の会話
引用赤軍はついにドイツ国境を越えて乱入し、ベルリンまでわずか百マイルの地点に進出した。 この日、緊張裡に総統作戦会議が開かれた。 会場は地下防空舎。 ゲーリング、カイテル、ヨードル、グーデリアンなど、二十数名が出席した。 会議議事録は幸いにして現存している。 二時間の会議中に、東部戦線の対策を論じた後で、こんな会話が記録されている。

ヒトラー いったい英国は、東部戦線の情勢を喜んでいるのだろうか。 本当のところは、どうだろうか?
ヨードル もちろん、喜んでなどいますまい。 英国としても見込みちがいでしょう。
ゲーリング われわれが米英軍の攻撃を一歩も譲らず防いでいる間に、 赤軍がドシドシ侵入して全ドイツを征服するというようなことになったら、これは、総統、英国の失敗ですよ。 現状がつづけば、二、三日うちには英国政府から電報が来ますよ、きっと。
ヒトラー それなら、モスクワに設けられた例の「自由ドイツ委員会」とかいう裏切りの団体も巧く利用できるかも知れない。 スターリンがドイツに赤色政府をつくると声明したら、英国政府は恐慌を起こすにちがいないから・・・・・・。
カイテル 英国は元来ソ連を疑っていますからな。
ヒトラー よろしい。 外相に命じて、スターリンは、わが軍の捕虜二十万名を再教育したうえ、ドイツに送り込もうとしていると宣伝させよう。 ・・・・・・そいつを英国に流すのだ。 脳天を鉄槌で打たれたように驚愕するぞ、奴等は!
ゲーリング 賛成。 英国の目的はドイツの東進を阻止することで、ソ連を大西洋岸まで誘致することではないはずです。

ヒトラーとナチス首脳部がこのような空論をたたかわしている時、 チャーチルルーズヴェルトはいずれも旅行の途上にあった ―ヤルタでスターリンと会談するために。
ボルマン
引用七・二〇事件のさらに顕著な結果は、ナチス政府がいよいよ側近政治の色彩を濃くしたことである。 一種の宮廷政治または徒党政治と称してもよかろう。
その象徴的な存在がマルティン・ボルマンである。 ボルマンは、穴居動物のように日光を避けながら、陰険邪悪な策謀を人知れずめぐらして、 たえず野心の貫徹に小細工を弄していた。 初めはナチス党の小物であったが、ヘスを通じてヒトラーに接近し総統の財務管理者となり、 建築(例えばベルヒテスガーデン)や絵画の蒐集に携わる間に、大いに忠勤を励んでヒトラーの信頼を博してしまった。 勤勉でもあり有能でもあったが、奸智にたけ、かつ執念深かった。 ヘスは直属長官であるが、そのヘスが、自ら平和使節の役を買って英国に飛ぶと、 これを陥しいれてその後任として党務長官に収まった。
ヘスはこの事件まではヒトラーの第一順位の後継者に指定されていた。 ボルマンの野心はヒトラーの後継者になることである。 しかし、ヘスが継承権を失ったあとには、第二順位の後継者ライヒスマルシャル(ドイツ元帥)ゲーリングが昇格して道を塞いでいる。 ここにおいて、ボルマンは全力をあげてゲーリングを失脚させるために画策した。
引用ゲーリングはどうしていたろう。
彼は、オバーザルツブルクのハウス・ゲーリングに監禁されていたが、 空襲の危険を理由に、SS隊長フランクを巧みに説得して、マウテルンドフの居城に移った。 フランクも長官のヒムラーがどうなっているかかいもく見当がつかず、処置に窮していたらしい。 ゲーリングは居城に帰ると、コラア参謀長に命じて救援隊を急派させ、自由を回復した。 ヒトラーの訃報を聞いた時には、男泣きに号泣して、
「エマ、総統は死んでしまった。 これで私が最後まで忠誠だったことは、永久に釈明できなくなったよ」と嘆いた。
自由となった彼は即刻行動を起こし、コラアに対して、アイゼンハワー司令官と会見の手筈を整えることを命じた。
「とにかく、わが輩は米国では一番人気があるんじゃ」
そういって、肥腹をゆすり愉快そうに哄笑する彼だった。
彼はよほど気がせいたと見えて、コラアの復命を待たず、米軍司令部に向け出発した。 沿道は総崩れになったドイツ軍の人馬で混乱していた。 ゲーリングは三十余名の幕僚を十数台の自動車に分乗させ、 モノグラム入りの英国製高級鞄に詰めた家宝を二輛の大型トラックに山と積み込み、灰青色の元帥服に勲章をつけ、 むしろさっそうとしてこの雑音のなかを徐行した。
途中で米軍と遭遇し捕虜となったが、米軍将校は一様に彼を好遇したので、すこぶる得意であった。 スパーツ将軍の司令部では、シャンペン・グラスを片手に露台に現われ、米軍将校と共にカメラに収まるという状況だった。
しかし、その後、バアド・モンドルフに押送軟禁されるにいたって、待遇は一変した。 勲章は剥奪され、自慢のダイヤモンドをちりばめた象牙の元帥杖も没収された。 これは後日トルーマン大統領に贈呈されたらしい。 五月末には、デーニッツ提督以下の新政府要人も、ハンブルグで捕えられたリッペントロップも、ぞくぞく到着した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。