「ワイマールの落日」
参考書籍
著者: 加瀬俊一(かせ・しゅんいち)
発行: 光人社(1998/03/14)
書籍: 文庫(304ページ)
定価: 695円(税別)
初版: 文藝春秋(1976/06)
目次: 第一章 革命の前奏は暗く
第二章 幻想集団スパルタクス
第三章 ワイマール体制の墓標
第四章 屈辱講和の後遺症
第五章 インフレ狂躁曲
第六章 ヒトラー上等兵の冒険
第七章 雌伏するヒトラー
第八章 褐色の制服に着かえて
第九章 ディートリッヒが歌ったころ
第十章 ポツダムの誓い
第十一章 第三帝国の誕生
第十二章 神々の黄昏
補足情報:
若き外交官として、私が自由奔放に青春を過ごしたワイマール末期の想い出は、今なお記憶に鮮明に残っている。 ・・・・・・私は松岡洋右外相の秘書官に起用され、訪欧旅行に随行して、全盛期のヒトラームソリニと親しく会った。 ゲーテやベートーヴェンを生んだ優秀な民族がヒトラーに幻惑され、ナチスに陶酔したのは何故か。 私はこの疑問を私なりに解明したいと思い、幾多の資料を集め、多勢の史家の意見を求め、 本書を執筆したのだが、その疑問はまだ氷解しない。 あるいは永久に解きがたい謎なのかもしれない。(文庫版「ワイマールの落日」に寄せて)
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引用パリ講和会議は、一九一九年一月一八日に開幕した。 独立国二十七にイギリス自治領五を加え、参加代表団は三十二におよび、代表一千名、記者五百名という空前の会議だった。 「まるでオウム小屋に騒動が起こったようだ」と報道する記者もいた。 会議の実権は、英米仏伊日の五大国がにぎり、とくに、ウイルソン米大統領(六十一歳)、 ロイド・ジョージ英首相(五十六歳)とクレマンソー仏首相(七十六歳)が采配をふるった。 ウイルソンの会議出席に対しては懸念する向きもあったのだが、彼は一世一代の檜舞台で晴れの演技をする意気ごみで、 米代表団の首席代表を買って出た。 当時の人気は素晴らしく、キリストに次ぐ偉大な救世主として礼讃され、平和の天使のように熱烈に歓迎された。 もっとも、ハロルド・ニコルソン―イギリスの青年外交官―などは、 「大統領の声明や演説は、道徳的に次元が高く、われわれは共鳴を惜しまぬが、 米国民とくに議会が果たして支持するかが疑問だった。この疑問が亡霊のように会議場に出没していた」と述べている。 不幸にして、この疑問は適中し、大統領が畢生の大業と考えていた国際連盟さえ、政敵によって否認されるのである。 そればかりではなく、「虎」の別称を持つクレマンソーは、強敵ドイツの再起を阻止することに専念し、 ロイド・ジョージもまた「カイザーを絞首刑にせよ」「ドイツ人のポケットに手を突っこめ」という反独世論に同調したので、 会議はしばしば決裂に瀕した。そのため、ウイルソンは休戦講和の基礎として、 彼が颯爽と提唱した十四ヵ条の理想主義的立場から、大きく撤退せざるを得なかった。
引用一揆の失敗を報じたニューヨーク・タイムズは、 「これでヒトラーとナチスは完全に消滅した」と解説した。 だが、彼は奇蹟的にカムバックした。 法廷闘争によって、巧みに裁判を宣伝に利用したのである。 裁判は一九二四年二月二六日にはじまり、ヒトラールーデンドルフら十人が被告だった。 ルーデンドルフは軍服に勲章をつけ威儀を正し出廷したが、3ヵ月にわたる公判のスターは彼ではなくヒトラーだった。 ルーデンドルフの罪を軽くするために、ヒトラーを主役にしたてた形跡がある。 そして、バイエルンの司法官には右翼同調者が多かった。 傍聴券は争奪され、外国特派員は百人以上も集まった。 それほどに裁判は内外の注目を浴びた。 カール、ロッソー、ザイッサーらが検察側の証人に立ったが、ヒトラーは彼らの変心をあばき、 共和国に対する反逆という点では、彼らも全く同罪だ、と指摘した。 そして、ヴェルサイユ条約と、十一月犯人(エーベルトなど)とユダヤ人を痛烈に糾弾して、国民の愛国感情に訴えた。 判決は四月一日に下り、ルーデンドルフは無罪、ヒトラーは禁固五年を言い渡された。
引用元帥は巨大な体躯―身長六フィート五インチ・体重二百ポンド―を持ち、粘液質の寡黙な典型的プロイセン軍人だった。 いかにも単純そうに見えたが、実は老獪とも評すべき打算家であって、たくまざる自己演出に長じていた。 とくに、他人の功績を横取りして自分の手柄にし、自分の失敗を他人に転嫁して涼しい顔をしながら、 人格高潔な無欲無私の愛国武将というイメージを樹立する処世術を、器用に身につけていた。 タンネンベルクの大勝はルーデンドルフ参謀長の鬼才に帰すべきものなのに、ヒンデンブルグが栄誉を独占した。 西部戦線の破綻とそれにつづく敗戦の責任は、参謀総長ヒンデンブルグが負わねばならぬのに、 すべての汚名をきたのは次長ルーデンドルフだった。 ヒンデンブルグルーデンドルフのロボットに過ぎなかったのだが、一見高邁愚直な人柄が幸いしたのである。
カイザーが退位を余儀なくされたとき、引導を渡したのは、ヒンデンブルグ―終始沈黙していた―ではなく、 グレーナー参謀次長(ルーデンドルフの後任)である。 休戦協定にしてからが、本来ならヒンデンブルグが署名せねばならぬのに、 エルツベルガー代議士にまかせ、彼は泣いてエルツベルガーに感謝したのだが、そのエルツベルガーは敗戦主義者として暗殺されてしまった。 つづくヴェルサイユ講和条約の諾否をめぐって閣議が分裂し、エーベルト大統領ヒンデンブルグに軍部の意見を求めたとき、 元帥は故意に執務室から外出したので、グレーナー次長が代わって、受諾のほかない、と答えたが、 元帥は次長に、「君は大変な責任を負ったものだな」とつぶやいた。
ナチスの伸長
引用深刻きわまる不況のなかで選挙をすれば、敗北するのは当然だったのに、 首相は支持者の反対を押し切って、あえて議会を解散したのである。 議会が大統領緊急命令を否認したからには、大統領の権威を守るために解散せねばならぬ、と主張したのであって、 ヒンデンブルグに対する忠誠心の現われだった。 ナチスの人気は急速に増大し、入党することはモダンだと思われるようになり、 廃帝の子息アウグスト・ウイルヘルムやシャハトらがぞくぞくと党員になった。 ナチスは特に青年層と女性をひきつけたので、「青年と反抗」の党と称されたが、 澎湃たる青年運動になったのが成功した最大の理由である。
このように、ナチスの党勢は伸長したが、初期の党員には下層中産階級、すなわち手工業者などの自営業者、 ホワイト・カラー、公務員が多く、これらが平党員の主体を構成していた。 「手工業者連盟」会長アントン・アイグナーの『なぜナチス党員になったか』と題する手記(一九三一年)には、
「手工業者諸君、いまこそ我われのチャンスだ。 この機会にドイツ解放運動に加わらねば、一切は失われてしまう。 過去十年を回顧して自問し給え。もし、ヒトラーがいなかったら、我われ中産階級はどうなっていたろう。 我われは今ごろ、どこにいたろう。社民党と共産党は中産階級の抑圧に協力しているではないか。 ヒトラーが彼らの仮面を剥ぎとったので、いまや彼らは狼狽しているのだ・・・・・・」
と述べている。これが、ナチス転向者の心情の最大公約数なのである。
ところが、ヒトラーが選挙に大勝すると、国民は自然にナチス党に信頼感を抱き、 やがて弁護士、医師、教師などの自由業者がぞくぞくと入党して幹部の地位に座った。 ナチスは民族共同体の樹立を標語にして国民の全階層に訴え、政治活動を盛りあげただけでなく、 野外音楽会やスポーツ大会を頻繁に開催して、党勢を拡張した。 とくに、重点を青年層の獲得においたので、他のどの党よりも年齢層が若かった。
ヒトラーの演説
引用ヒトラーは、いつも定刻より遅れて演説会場に到着する。 群衆がシビレをきらして待ちあぐねているところへ、悠然と姿を現わす。 音楽隊が勇壮なマーチを吹奏するなかを、救世主のように、照明を浴びつつ昂然と登壇する。 あらしのようなハイル、ハイルの怒号が静まると、初めは光明を求めて模索するように、低声で語りかける。 やがて、雄弁の自己放電が彼を完全な陶酔状態にひきこみ、聴衆もまた官能的に反応する。 それは性欲の代償行為にも似ていて、オルガスムスに達して巨大な爆発を起こす。
詩人シッケレはこれを「淫楽殺人のようだ」といったが、むしろ、宗教的恍惚に近い。 英国外交官ハロルド・ニコルソンは、「ヒトラーは政治家ではなく宗教者だ」といったが同感である。 彼の演説が成功したのは暗示的な言葉の魔力によるが、常に、聴衆がききたがることだけを語ったのも賢明だった。 ゲッベルスは、「そこにいたのは小市民だけだった」と日記に書いているが、 彼らは絶望の深淵にあえいでいたのであって、ヒトラーは否定コムプレックスの底に沈澱する抗議意識に巧みに乗じたのである。 「ハーベン・ジイ・ヒトラー・ゲゼーエン」(ヒトラーを見たことがあるか)に、 「叫びながら駆け出す群衆」という一句があるが、怒れる小市民はヒトラーの指さす方向に、夢中で突っ走ったのである。
レームら粛清
引用彼はゲッベルス以下の側近とともに、自動車をつらねて、バアト・ヴィースゼエに乗り込み、 手に鞭を持ってレームの寝室に侵入した。 「貴様を逮捕する!」とヒトラーが叫ぶと、レームはベッドのなかで寝ぼけまなこをあげ、「ハイル・ヒトラー」と答えた。 「貴様を逮捕する!」ふたたび叫ぶと、ヒトラーはくるりと向きをかえて、靴音も荒々しく、立ち去った。 これは彼の忠実な運転手ケムプカの目撃談である。
翌七月一日、日曜日、午後六時、二人のSS将校が、シュターデルハイム監獄の独房につながれているレームを襲った。 彼らは前日の事件―SA大粛正―を大見出しで報道している「ベオバハター」紙とともに、 ピストルを小卓の上に置き、十分間の余裕を与えた。 だが、発射音がしないので看守がピストルを取りもどしにいった。 その直後、くだんのSS将校が拳銃を乱射しながら独房に突入すると、レームは胸のシャツをはだけて、 傲然と中央に立っていた。
ヒトラーもこの古き盟友を処刑するのは、頗る気が重かったらしく、なんとかして最悪の局面を回避しようと腐心した。 レームにしても、まさか上意討ちにされようとは思っていなかったらしい。 三島由紀夫の劇「わが友ヒトラー」は、シュトラッサーがレームヒトラーを排除するため協力を求めると、 レームが峻拒する情景を描写し、シュトラッサーに、「太陽を見た人の瞳が何を見ても黄色い残像を結ぶように、 君はヒトラーの残像なしにはこの世界を見ることのできない男だ」と語らせているが、 レームは最後までヒトラーの友情を信じていたのである。
みじめなのはハイネスであって、寵童と同衾しているところを襲われて抵抗し、その場で射殺された。 もとはピアノ運送人夫で、殺人歴を持つ乱暴者である。 ミュンヘンに集まっていた他のSA幹部は、みな簡単に逮捕された。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。