【テーマ・松岡洋右:近衛内閣A外相/1941】
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◇ 歴史の俯瞰的な視点からみれば、それは糠喜びと斬って捨てることができる。
だが、松岡には松岡の構想があったのだ。
独伊との関係を強固にし、さらにソ連と結び、
この四ヵ国同盟を背景に、日米関係など懸案を処理しようというのがそれだ。
松岡の立場からみれば、
日ソ中立条約の調印は、自らの構想が半ばまで実現したその瞬間だった。
だが、そんなことはさて置いて、まずはただありのままに、
ある日の、人間・松岡洋右を、スターリンのそれとともにみてみよう。
ほかのものが皆シャンペンを飲むのに、スターリンだけは初めのうちは小さなグラスに手酌で桃色の酒をついでいた。 この酒は一本しかなくて彼の専用らしかった。 私はやや奇異に思ったことだったが、その後、英米政治家のいろいろな回想録などを読むと、 どうやらこれが彼の習慣だったらしい。
しかし、しばらくして外相が、天皇陛下のために乾盃を提議すると、スターリンは、
「それなら、シャムペンだ」
といって、みごとに一杯をあおった。 それからは、カリニン首相、近衛首相モロトフ首相と思いつくほどの人には皆もれなく乾盃した。 その次は、日本陸軍のために、ソヴィエト陸軍のために、というようなことになって、両国の陸海空軍のために格別に乾盃する。 それも何回でも繰り返す。 ついにスターリンはシャンペン・グラスを持ってテーブルを回って、随員のひとりひとりの健康を祝するくらい上機嫌になってしまった。 しかし、正気であった証拠には、特に陸海軍随員に鄭重に敬意を表していた。 どこまでも曲者である。
御大将のスターリンが、このように、率先して模範を示すのだから、酒豪ぞろいのソヴィエト側接伴員は、 それこそ浴びるように飲む。 シャンペンでは駄目だ。ウォッカだ、ウォッカだ、という騒ぎ。
見れば外相も大分苦戦らしい。 それに帰国の国際列車の出発もあと余すところいくらもない。 いくど目かに私が腕時計を盗み見た時のことである。 スターリンは私にニヤリと笑顔をみせると、モロトフの机へいって、受話器をとった。 二言三言早口になんやら命令したようだったが、テーブルにもどると、
「列車は出発を一時間延期させました」
といった。一同は歓声をあげる。 ではまだ飲める、というわけで、乾盃また乾盃。
外相はそれから大使館の在留邦人のレセプションに出席し、さらに盃を重ねたので、 駅に向かう頃には、したたか酔っていた。 同乗している私は少なからず心配である。 自動車から降りようとすると、新聞やニュース映画のカメラが放列をしいている。 これはいけない、と思ったので、私は外相を抱くようにして肩を貸しながらゆっくりと歩いた。 歩きながら、外相の耳もとに口を寄せて、
「大臣、写真をとってますから、しっかり歩いて下さい」
とささやくと、外相は酔っているから大声で、
松岡洋右、断じて酔ってはおらん!」
と叫ぶ。これには弱った。
◇ 余談ながら。
松岡の四ヵ国同盟構想は、
この2ヵ月後、独ソ戦の勃発によって水泡に帰す。
この不測の事態により、日本の中枢は混乱を極め、外交・軍事政策は迷走を続けることになる。
話を松岡に戻すなら、彼の失敗の原因は、その構想以前にあった。
日米関係を修復するには、少なくともそのどちらか一方が折れる必要がある、
と考えたところまでは正しかった。けれども、
日本が折れることは、陸軍ががんばる(譲らない)以上不可能、
よって、アメリカをいかにして折れさせるかが日本外交のメインテーマとなる、
と考えたところに、根本的な誤りがあったと言えよう。
双方互いに歩み寄ることが、外交にかぎらず交渉事の基本であったはずなのだから。
四ヵ国同盟という壮大な構想に、この野心家の目がくらんだと見られてもいたしかたあるまい。
松岡にかぎらず、
「断じて酔ってはおらん!」と確信するとき、人は酔いのさなかにあるのかもしれない。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。