【テーマ・山本宣治:京都労働学校校長/1925】
クリック 20世紀
◇ 校長センセーとはいえ、このときヤマセンは、まだ30代の若き生物学者だった。
大衆のために闘う代議士になるのはまだ先のことで、
このときには、そんなことは彼自身想像だにしていなかったにちがいない。
だが、のちに大衆を惹きつけて放さなかったヤマセンの魅力が、あたたかさが、
ここにすでに十分に表れていることも、これまたまちがいのないことだろう。
同時に、ここには、ヤマセンが放ち続けた生の輝きのその源泉が示されていると言える。
ノーガキはこのぐらいにして。
さあ、これが校長ヤマセンだ。
大正一三年末、桂信三に代って京都労働学校の主事となった谷口善太郎は、
「大正一三年末頃から私が主事になったんですが、その当時の山宣は校長としてもまったく献身的にやっていました。 単に校長、講師としてだけではなく、金は出してくれる、生徒の世話をしてくれる、 そして、われわれ労働者の思想を変革する上であらゆることをやってくれました。 山宣は、労働学校は労働組合に入ってまだ間のない労働者や、未組織の労働者のくるところだから、 その思想変革にはまず最初に一つドカンとやる必要があるという考えをもっていました。
あるとき、君たちのうちだれか精虫を持って来いという。どんな若い労働者でもこう言われてたじたじしないものはない。 みんな驚いたが、勇敢なのがいて、精虫を持って来る。 するとそれを顕微鏡で見せた。 無数の精虫が顕微鏡の上で動いている。 いや驚きましたねえ。これがもし卵子に合えれば一ぴき一ぴき人間になるんだと言うんだな、山本君は。 そうしておいて学生に向って『センチになるな』と言う。 誰だって変な気になるのはあたりまえです。しかも意地が悪い。 その次の週には夜、花山の天文台へつれて行きました。 そして望遠鏡をのぞかせました。 私ははじめてあの輪のあるでっかい土星を見ました。 そして彼はニタニタしながらまたいうんです。 『センチになったらあかんでえ。』みんなかわるがわる望遠鏡をのぞいて黙りこくってしまいました。 一適二億の精虫と大宇宙―一体人生とは何だろうとみんな考えだしたのです。 山宣は『生物学的人間の範囲の思考ではダメなことがわかったろう。歴史をつくることに生きがいがあるんだよ。』と学生に話した」。 と当時の山宣の思い出を語っている。(昭和四六年八月一三日談)
京都労働学校は校長山宣、主事谷口善太郎を中心として、経営上の問題はありながらも着実に発展していた。
◇ 余談ながら。
ヤマセンは事実歴史をつくった。
それは大衆のために、大衆とともにつくった歴史だった。
そして、ヤマセンを危険とみた別の価値観をもつ人たちによって、ヤマセンは消された。
1945年の敗戦によって、価値観がすっかり入れ代わってしまうと、
それ以前の近代国家としての歴史のほとんどは、
日本人にとってあまり誇らしいものではなくなってしまった。
だが。
一つある。
ヤマセンがつくった歴史だ。
ぼくらはこれを誇ることができる。
できるのだ。
・・・ヤマセンの言葉が聞こえてくるようだ。
センチになったらあかんでえ。
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